江藤淳には『昭和の文人』という名著があり、昭和天皇の崩御の折に「字余りのお歌」という一文で、「我ハ先帝ノ遺臣ニシテ新朝ノ逸民」という言葉も記していた。自らも昭和という時代と人生を共にしてきたとの感慨であろう。昭和が終わり平成となり、その平成の三十年も今終わろうとしている。皇統の歴史も新たな時代をむかえる。
しかし「日本」が「日本ではない国」となれば、そもそも皇統の持続とは何か。江藤淳が警鐘を鳴らしたように、日本人が自らの歴史と伝統を語りうる言葉を回復しないかぎり、主体的な自由な言語空間を取り戻さなければ、日本と日本人は真に自立しえないであろう。それどころか、遠からずして亡国もありうるのである。
【PROFILE】富岡幸一郎●1957年東京都生まれ。中央大学文学部フランス文学科卒業。関東学院大学国際文化学部比較文化学科教授、鎌倉文学館館長。著書に『虚妄の「戦後」』(論創社)、『西部邁 日本人への警告』(共著、イースト・プレス)などがある。
※SAPIO2019年1・2月号