「女子なのにとか大人なのに、とか関係ないでしょ! みっともないとは思うけれど、自分が間違っているとか思わない。へんじゃないし一人でもない。友達もいる」
「いいかげんにしなさい!」と、鬼の形相の母。思い切り娘の頬をひっぱたく。
「これからもろくでもないことを続けていくつもりなの? 女の子なら30過ぎたらもらい手がなくなるのよ」
そして、母は手に握っていたヒーローフィギュアを破壊し……。この瞬間、叶の堪忍袋の緒はぶち切れた。
「じゃかましい!クソばばあ!」
母をひっぱたき返して断絶宣言。「これまで育ててもらったお金も大学にかかったお金も全部返す。もう家族じゃない。かかわらんといて!!」
現実を否定されたくない娘。娘の幸せを願うという理由で自分の考えを押しつける母。そのすさまじい対決は、まさしく息詰まるシーンであっという間に時が過ぎました。
理解されない自分、親にも他人にも許容してもらえない自分。でも変えたくない自分がある。特撮ヒーローに限らない。簡単には理解されない、そんなこだわりや趣味を密かに持っている人って、実は社会の中に結構な数いるのかもしれない、と考えさせられてしまう。
社会一般のルールに合わせろ。世間体を考えろ。そういうプレッシャーにどう対峙すればいいのか? 物語が投げかけてくる問いが、刺さる。
人は一人で生きていけないという真実。人はどこまでも社会的存在。オタク的感性と社会性とは、いったいどこで折り合いがつくのか? 個人的な嗜好世界に、無理解な絶対的他者が入りこんできたらどうするか?
まさにドラマツルギーが生まれ出る瞬間です。
おそらく、このドラマは「特撮ヒーロー」の部分があまりにも精巧に丁寧に、そして専門家を動員して作り込まれているがために、マニアは強烈に反応し、一方で一般視聴者は食わず嫌いで離れてしまった。けれど、描かれたテーマそのものは実に古典的で普遍的。多くの人々が考え共感するような、「人間と人間の葛藤の有様」なのでした。
「ドラマは社会を映す鏡」と常々書いてきた私としては、『トクサツガガガ』はまさしくドラマの王道だと遅まきながら発見。だから、ドラマ視聴は面白くてやめられません。