福沢諭吉の『帝室論』
◆追い求められた「理想の夫婦像」
1956年夏、軽井沢のテニスコートでおふたりは出会い、翌年11月に婚約が発表された。
当初、美智子さまの実家である正田家は、前例のない「民間からの皇太子妃」に戸惑い、固辞していた。当時を著した『この三十年の日本人』(児玉隆也著)に、興味深い記述がある。
〈結婚前の皇太子が読み、未来の妻に贈った『ヴィクトリア女王伝』の記述が、二人の“理想の姿”になっていた〉
その一冊が、イギリスの伝記作家・リットン・ストレイチイの綴った『ヴィクトリア女王』だった。翻訳版を出版する、冨山房の坂本起一社長がいう。
「イギリス伝記文学には優れたものが多いですが、その中でもストレイチイの作品は、それまでの画一的な伝記の文体から変化し、新しいスタイルを切り開いた点において、傑作中の傑作といわれています」
1837年から60年以上在位したイギリスのヴィクトリア女王は、大英帝国の繁栄を盤石なものとしつつ、家庭では夫・アルバートと生涯仲むつまじく暮らし、4男5女をもうけた。その親しみやすさから、特に中産階級に慕われていたという。