さらに2008年にリーマン・ショックが起きた。各社とも収益が厳しくなり、日産も大減益を強いられましたが、比較的うまく乗り切った。ゴーンが動いて片っ端からお金を集めたことで資金に困らなかったからです。
V字回復の時もそうですが、彼は非常時に強い。ただ、それで深まった自信が、次第に過信に変質していったのではないか。
〈小枝氏はリーマン・ショック直前の2008年6月に共同会長を退任。「マンツーマンの対話」の時間もなくなった。そして、ゴーン氏が金融派生商品で私的な損失を被ったのも、この経済危機の時のことだ。その損失を日産に付け替えたことが、特別背任にあたるとして起訴された。さらに2年後の2010年に役員報酬の開示が義務づけられ、有価証券報告書への虚偽記載が始まったとされている〉
ゴーンは在任期間が長過ぎた。その間に「これくらいはいいだろう」という意識が芽生え、矩を踰えていった。日本人を甘く見るようになっていたと思います。2016年12月からは三菱自動車会長も兼務して日産に姿を見せる機会はさらに減り、社員からすれば“神話上の人”になっていました。
今思えば、就任から10年で退いてもらうべきだったのでしょう。英国はじめ欧米の経営者では55歳くらいでリタイアする人が多いが、彼はそうではなかった。
◆「クーデター」だったのか?
〈疑惑のキーパーソンと見られるのが、不正に荷担したとして金融商品取引法違反で起訴されたグレッグ・ケリー被告だ。1988年に北米日産に入社後、2008年に執行役員、2012年に代表取締役に昇進している。その存在に、小枝氏は違和感を抱いていた〉