「上沼さんは大阪の豪邸以外にもマンションや別荘を5~6軒持っています。万里さんはいくら経済的に厳しくても意地になって妹に頼らないつもりでしたが、ある時ポロッと『何か仕事ないかなぁ』と口にしたのを上沼さんが聞いた。それで“お姉ちゃんかわいそうや”と不憫に思い、お金を融通し始めたそうです」(芸能関係者)
大金を稼ぎながらも、「美容院はカットのみ」「靴はもらいもの」を貫くなど、“シブチン”として知られる上沼だが、姉には出し惜しみしなかったという。
「万里さんのマンションの購入費用を出したり、コンサートで東京から大阪に来てもらう時は衣装や楽屋、宿泊費をすべて用意して移動はグリーン車。ギャラも通常ではあり得ない額でした。それでも、万里さんが“援助は当たり前”という雰囲気になっていったそうで上沼さんが“それは違うやろ”と気分を害し、次第に関係が疎遠になった。事実、ある時期から万里さんは上沼さんのコンサートに出なくなり、“お姉さんはどうしたんだろう”とファンは心配していました」(前出・芸能関係者)
上沼と万里の姉妹関係は母の介護をきっかけに良好になっていったという。
「上沼さんの母親は2014年に89才で肝硬変になり、さらに乳がんが発覚し、入院生活が始まりました。母への愛情が深い上沼さんは、どれだけ忙しくても仕事が終われば病院に駆けつけました。お母さんは2015年末に亡くなりましたが、それまでの入院費用なども上沼さんが工面したと聞いています。上沼さんはすべてを背負い込んでいましたが、逆に“姉と仲違いしている場合じゃない”と思ったそうです。最終的には万里さんも実家に戻り、1か月付きっきりで看病したそうですよ」(前出・芸能関係者)
母が入院すると、上沼は母に仲がいいきょうだいの姿を見せたいと、関係の修復を決意。介護もきょうだい全員で乗り切った。
「その時の上沼さんはお金のことよりも、お母さんのことで頭がいっぱいでした。万里さんを久しぶりにコンサートにゲストとして呼び、お母さんはその姿を本当に嬉しそうに見ていたそうですよ。数年ぶりに姉妹が笑い合っているところを見せることは、上沼さんの最後の親孝行だったんでしょうね」(前出・芸能関係者)
当の万里も「不仲時代は終わりました」と言う。
「本当は、姉妹でお金の貸し借りはないのがいちばんいい。でも彼女は、よく気が利く人だから“これ交通費“と言って、くれたりする。誕生日になると私はパジャマとかを贈るのですが、彼女は大きな胡蝶蘭。彼女は稼いできただけ苦労してきた。私やったらプレッシャーで病気になってます。確執とか不仲とか、妹がオーバーにネタとして話している部分もありますよ(笑い)。ずいぶんと前の話ですし、今では妹には本当に感謝しかありません」
人間、50才を超えたら身内とけんかしないのではなく、諍いを収める術を身につけるのかもしれない。『クギズケ!』で上沼はこう述べた。
《きょうだいはずっと仲いいというのは不自然です! 40才、50才でも仲いいきょうだいって、きんさんぎんさんぐらい違う? でも、それもわからんで!》
※女性セブン2019年4月25日号