◆「時代と寝た女」と「ソニーの白雪姫」
南はその後も18歳で『傷つく世代』(1973年)、20歳で『女性』(1974年)を歌うなど、実年齢に応じた私小説路線を展開。同世代を中心に圧倒的な支持を集めたが1978年に引退し、写真家の篠山紀信氏と結婚する。そのシンシアプロジェクトの方法論を継承したのが1973年にデビューした山口百恵であった。
「彼女の歌づくりでも世代をテーマにしましたが、デビュー曲『としごろ』はやや重かったのか、売れ行きが今ひとつでした。そこで第2弾の『青い果実』からは、性の目覚めをストレートな言葉で歌う“青い性路線”に変更。これが成功したことで、先行する森昌子、桜田淳子に追いつくことができたのです」
以後、数々のヒットを放ち、「時代と寝た女」とまで称された山口百恵を、酒井氏は1980年の引退までプロデュース。その一方で天地真理や浅田美代子など、あまたのトップアイドルの楽曲制作にも関わっている。
「天地真理に初めて会ったのは、映画関係の知人からの依頼で行なった、ソニーのスタジオでのオーディションでした。その時は『小さな私』という曲を歌ったのですが、それを改題したのがデビュー曲の『水色の恋』(1971年)。キャッチフレーズは歌詞にちなんで“ソニーの白雪姫”にしました。当時は歌謡曲路線の小柳ルミ子と、ポップス路線の南沙織が人気を集めていたので、その2人の中間に位置づけて、三人娘として売り出したのです」
そしてもう1組、伝説のアイドルグループについても聞いておかねばなるまい。メンバーの伊藤蘭が5月末にソロデビューすることが話題となっているキャンディーズだ。