英一郎さんがツイッターにあげた19才当時の写真。この頃は引きこもっていなかった
「その中学は偏差値70に近い名門私立でしたが、入学後、母親に対する態度が変わった。“勉強しなければおもちゃを壊すという母親を殺したい”と周囲に言うようになり、実際、母親に暴力を振るうようになったのです。母親が彼に強く言えなくなると、学力もどんどん下がった。なんとか高校までは上がりましたが、大学と大学院は、大きく偏差値を下げてしまった」(英一郎さんの知人)
その後、就職をしたこともあったようだが、長続きせず、親の仕送りで暮らすニート生活を続けていった。
「ひとり暮らしをしていましたが、ずっと家に閉じこもってゲームに明け暮れていた。仕事をせず親からの仕送りで生活をしていた点では引きこもりに近い。そのひとり暮らしのマンションでゴミ出しを巡って近隣住民と揉めたこともあり、5月下旬から実家に戻っていました。
彼は“おれが凶暴なのは病気だから。仕事もできない”と親に説明していたようです。家庭内暴力は相変わらずで、母親だけでなく父親にもその狂気が向けられていった」(全国紙記者)
その凶暴性や身勝手な思考は、彼のツイッターやインターネット上の掲示板からも見て取れる。
自身のツイッターで《元事務次官の愚息であります》《地主で預金は2億円》などと吹聴し、ほかのユーザーとトラブルになった時は“父親”が出てきて《これ以上、息子につきまとうな!警察沙汰にするぞ!》と相手に一喝したと明かしていた。
その後、《庶民が、私の父と直接会話なんて、1億年早いわヴォケ!!!w》《私は、お前ら庶民とは、生まれた時から人生が違うのさw》などと書き込んでいた。
その一方で、《勝手に親の都合で産んだんだから死ぬ最期の1秒まで子供に責任を持てと言いたいんだ》などというツイートもあり、親への“ゆがんだ依存”が見受けられた。熊沢容疑者の知人はこう話す。
「息子さんのことはほとんど話題にしない人でしたが、数年前に会った時、“息子に財産は残してあげられるが、それが彼にとっていいことなのか…”と打ち明けてきて、相当悩んでいたようです。熊沢さんが次官を退官したのは2002年。いわゆるBSE(牛海綿状脳症)問題です。国内発症を予防できず、責任を問われる形で辞めた。真面目で責任感の強いかたなんです。息子さんを“第2の川崎殺傷犯にさせない”という“親心”があったのでしょう」
◆引きこもりは恥だから隠す