私は前述のように現代美術に冷笑的だ。その大きな理由は、わざとらしさやハッタリ臭さが感じられることだ。
かく言う私も美術系の大学でマンガ論の講義をしたことがあり、エロマンガも論じている。学生に配る講義資料には強姦も排泄も当然描かれている。しかし、そこにはわざとらしさもハッタリもない。エロマンガなんだから、読者を楽しませるための真剣勝負だ。もし私の講義が「環境型セクハラ」で訴えられたら、そのバカ学生と徹底的に闘うだろう。しかし、会田に共闘・支援を求められたら、ちょっと嫌だな。
とはいえ、これは基本的に表現の自由、学問の自由、教育の自由の問題であるから、一言見解を述べておかなければなるまい。
国文学の講義で井原西鶴『好色一代男』を扱うことは環境型セクハラにならないのだろうか。
この主人公世之介は稀代の好色漢で、幼少時から不埓な行動があった。九歳の時の話だ。現在なら満八歳、小学校二年生である。近所の小間使の女が行水をしているのを遠眼鏡で見る。そうとは知らぬ女が股間に手をやりオナニーを始めた。世之介は、見ちゃった見ちゃったと囃し立てる。そして、このことを他人に知られたくなければ、夜更けに忍んで行くから裏戸を開けておけと脅すのだ。
脅迫による強姦罪である。授業中に強いショックを受ける女子学生が出るだろう。私は先の大学とは別の大学の文化論の講義で『一代男』のこの箇所のプリントを使ってきた。しかし、一度も訴訟沙汰にはなっていない。
●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。近著に本連載をまとめた『日本衆愚社会』(小学館新書)。
※週刊ポスト2019年7月5日号