第161回直木賞を受賞した大島真寿美氏(56)の『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』は、江戸時代、大坂の道頓堀で活躍した人形浄瑠璃の作者・近松半二を主人公した作品である。文楽(人形浄瑠璃)の世界をまったく知らない読者をも引き込む長編はいかにして生まれたか。大島氏は、小学館の小説ポータルサイト・小説丸のインタビューでこう語っていた。
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──『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』は実在した文楽の作者・近松半二を主人公にした小説です。伝統芸能である文楽をテーマに執筆することになった経緯を教えてください。
大島:最初は「歌舞伎をテーマにした小説を書いてみませんか」というお話だったんです。私が昔から歌舞伎好きでよく見に行くことを知っている担当編集者から、そう声をかけられて。でも簡単に書ける気がしなくてどうしたもんかなあ、と思っていたときに、ふと『妹背山婦女庭訓』だったら書ける気がしたんです。
──江戸時代に書かれた王代物の傑作だそうですが、どのような部分に惹かれたのでしょう。
大島:あらすじのここがいいとか、この人物が好きだとか、そういった言葉だけではうまく説明できないんです。とにかく『妹背山婦女庭訓』という作品に惹かれてしまった、としかいいようがない。なぜこんなにも魅了されるのか、その答えを自分なりに知るためにこの小説を書いた、とも言えるかもしれません。それで『妹背山婦女庭訓』について調べてみたら、そもそもが歌舞伎ではなく文楽の演目だったんですね。江戸時代の大坂で活躍していた近松半二という文楽の作者が書いたことを知って、じゃあこの半二を書いてみよう、と。
──文楽の魅力とはどんなところでしょう。
大島:物語性の強さを感じられるところだと思います。生身の人間が演じる歌舞伎だと、どうしても役者自身が見えてしまうときがありますよね。もちろん、そこが歌舞伎のよさでもあるのですが。でも人形が演じる文楽の舞台でなら、世界観により入り込みやすいんです。
◆聞こえてくる“声”を書く
──以前のインタビューでは「小説の題材はいつもふわっとしたイメージから膨らむ」と語られていましたが、それを“小説の種”と表現されていたのが印象的でした。今回の“小説の種”は『妹背山婦女庭訓』だったのですね。
大島:私の場合、構成や結末を決めて書いたことはほぼなくて、“声”が聞こえてくるんですね。声が、耳から入ってくる。もちろん時代背景を知るために資料や随筆にも目を通しますが、それ以上に半二の声を聞いて、それを書き進めていく感覚です。
──舞台は大坂・道頓堀。父の影響で人形浄瑠璃(文楽)の魅力に取り憑かれた近松半二の生い立ちが冒頭で描かれます。呑気で不遜、でもどことなく憎めなくて、まだ何者にもなりきれていない若者。そんな半二と同じ目線から、読者も芝居小屋が並ぶ道頓堀の世界へするすると入り込むことができました。
大島:連載中に現役の太夫(文楽の語り手)である豊竹呂太夫師匠にお目にかかる機会があったので、連載分を読んでいただいたのですが、後日「半二の友達になったような気持ちで読んでいます」という手書きのお手紙をいただいて。浄瑠璃の世界で生きる人たちにとっては、「あの歴史上の人物が悩んだりしてるぞ!」と新鮮に映ったようです(笑)。もちろん、私の中から出てきた半二なのですが。