辻政信・陸軍大佐
「父からは死後に開封するように言われていましたが、昨年、没後50年を迎えました。平成も終わり、昭和という時代がどんどん遠くなっていくような気がして、もう皆さんに読んでいただいても良いのではないかと思った次第です」
その手記は、終戦直後に書かれたものだという。
「父は昭和21年頃、中国の南京に潜伏していましたが、一人の中国軍人が我が家を密かに訪れ、父に頼まれたと言って、密封された数冊のノートを届けて下さり、その中にこの手記が含まれていました」
◆「悪を悪として正しく認める」
手記は〈父より子供達へ 於南京〉と題され、父から息子に向けられた手紙の形式となっているが、その内容は〈我等は何故敗けたのか〉と日本軍の敗因を分析している。
冒頭部分で辻は息子たちに向かって、〈一天万乗の大君(天皇のこと)を、この御苦境に立たせ奉ったものは父だ〉としながら、敗戦の罪をいかに詫びるかは個人で異なり、腹を切った青年将校もいたが、〈父は断然、生を選んだ。闘い抜こうと〉〈弱者の戦法は「ゲリラ」戦だ〉と中国に潜伏している理由を語っている。
その後に、非常に興味深い一文が出てくる。
〈国を挙げて満州の野に強露を破った歴史がなかったら、今頃は支那(中国のこと)の北半はもちろん、朝鮮もあるいは日本もソ連の領土になり、支那は列強に分割されていることは明断するを憚らない〉