さらに敗因の1つの「戦略の誤り」の分析にはこうある。
〈ビルマ攻略後の勢いでインドを解放し、ドイツと共に、トルコを陣営に入れ、「スエズ」を衝くか、あるいはソ連を攻撃して、一方の強敵を斃しておけば、今日の事態は変わっていただろう。しかし、松岡(洋右)外相が天皇の名において締結したばかりの不可侵条約が、「ヒットラー」のように裏切れなかったところに日本人らしさがあった。しからば、進んでインドを衝くべきであったが、数年後敵の準備完成してから初めて、「インパール」を攻略しようとして、手も足も出なかった〉
少々わかりづらいが、ここでは2つのプランが明示されている。
1つ目は、中国に次いでインドを解放して仲間に引き入れ、ドイツはトルコと手を組み、ヨーロッパとアジアを結ぶシーレーンであるスエズ運河を押さえる作戦である。
辻は〈日本一国でこの戦争に勝てると信じた人たちは、世界が数個の連合国家集団に向かいつつあるの大勢さえ見透かし得ず〉とも述べていて、国家連合を形成できなかったことも敗因としている。
2つ目は、日ソ不可侵条約を破棄してソ連を攻撃するという作戦だ。
「ドイツがソ連に侵攻したときに、日本も日ソ不可侵条約を破棄し、ソ連を東西から挟み討ちにすべきだったと言っている。そうすれば、ソ連の戦力は分断され、スターリングラードもレニングラードも陥落したかもしれないということです。
イギリスのチャーチル首相も戦後に出版した『第二次大戦回顧録』で、ドイツがソ連に侵攻したときに、日本が北進せず、南進したのが最大の幸運だったと述べていて、辻の主張と一致します」(福井教授)
◆客観的か、無責任か