陸軍だった辻にとって海軍に対する不満は根強く、それは〈国民の大部は虚偽隠せられたる戦況報道(特に海軍において甚だし)に戦争の前途を楽観し〉といった記述からも読み取れる。
陸軍はソ連を仮想敵とする“北進論”、海軍は南洋に進出する“南進論”を主張していたが、ノモンハン事件とドイツのソ連侵攻を契機に軍の方針は南進へと転換された。
「辻氏には、海軍に邪魔をされて、自分が思い描いていた戦略を実行できなくなったという恨みがあったのではないでしょうか」(福井教授)
◆中国を味方にすべきだった
では、辻が描いた戦略とはどんなものだったのか。辻の敗因分析は、実行できなかった戦略の裏返しとも言える。まず中国を味方に付けるべきだったが、それに失敗したことが敗因の1つだと指摘している。
〈日本軍の鉄蹄下に阿諛(あゆ)迎合した裏切り政権(日本の傀儡となった南京政府)を看板にして各所に独立政権を樹てたが、これを徹底的に擁護もできず無視もできず大東亜省という植民省を作って、かえって誠意を疑われ、東亜解放の真義は東亜侵略と誤解を抱きつつその協力を期待できなかった〉
もし中国を陣営に引き込んでいれば、〈支那に百万の軍を節約し、これと提携して当たれば、米国も容易に勝つ見込みなく、いわんやインド民族の心からの協力を得るにおいては、この戦争は負ける戦争ではなかった〉とまで言う。