皮肉なことに展示が中止になったことによって、あちこちで「表現の自由」をめぐる議論が沸騰しています。芸術祭の実行委員会会長を務める大村秀章・愛知県知事は、展示の趣旨を無視して感情的な批判を繰り広げた河村たかし・名古屋市長や、自分に対して「辞職相当だと思う」と述べた吉村洋文・大阪府知事らに強く反論し、きちんとした見識と覚悟があることを示しました。
「うちらネットワーク民がガソリン携行缶持って館へおじゃますんで~」という脅迫ファックスを送った容疑者が、8日になって逮捕されたこともホッとできるニュースです。さすが、ヤル気を出したときの警察はたいしたものですね。きっと引き続き、ほかにも届いているという脅迫に対しても、次々と犯人を突き止めてくれることでしょう。
「表現の自由」のピンチとか政治家の勘違いっぷりとか、いろいろ難しい問題はありますが、展示が中止になった「その後」の展開で、もっとも深刻なのはたぶんそこではありません。展示の中止に賛成の人も反対の人も、右も左も老いも若きも、意見が違う相手を罵ることに一生懸命なこと。「自分は正しい。意見が違うあいつらはバカだ」という前提で、怒りの感情に身をまかせているという点では、どっちの側も同じ穴のムジナです。
たしかに、「税金を使うんだから政府やお役所の顔色を伺うべきだ」と平気で言える人や、自国の恥ずかしい過去を直視する気がない人や、露骨な情報操作にまんまとのせられて特定の国への憎悪を抱かされている人や、「日本人として当たり前」とか「反日」とか「御真影」といった言葉を何も考えずに使える人に、何を言っても話が通じる気はしません。かといって、怒りをぶつけても事態がよくなることはないでしょう。
上にあげたようなタイプの人たちも、怒りをふくらませることで自分にウットリすることに忙しくて、違う意見に耳を傾ける気はなさそうです。ま、似たり寄ったりです。「表現の不自由展・その後」が展示中止になったことで、はからずも私たちは考えるチャンスを与えられたのに、それを生かしているとは言えません。罵り合って、すぐ忘れて、また別のことで罵り合っているうちに、「分断」とやらはどんどん進んでいくのでしょう。
まだ間に合うのか、もう手遅れなのかわかりませんが、ひとりでも多くの人が「怒りをぶつけている場合じゃない」「揶揄して喜んでいる場合じゃない」「世の中を敵と味方に分けるのはやめよう」と考えるといいのではないかと、たいへん僭越ながら願う次第です。地道な話ではありますが、それぞれが自分のまわりの人と仲良くして、いろんな意見を冷静に交わし合うことが、「今やるべきこと」なのではないでしょうか。
そして、脅迫ファックスを送った容疑者も捕まったことだし、ある意味で大ブレイクした「表現の不自由展・その後」が、会期中に展示が再開されるという“奇跡”が起きることを期待しています。もしそうなったら、このところ世界からガッカリされっぱなしの日本も、少しは見直してもらえるでしょう。「あいちトリエンナーレ2019」が、日本はまだまだ大丈夫と思わせてくれるトリエになーれ。