大軌は平城宮跡という奈良が誇る歴史遺産に配慮。これで、文明の利器である鉄道と歴史遺産の平城宮の衝突は起こらず、共存共栄が図られた。
しかし、1960年の調査では当初の範囲よりも平城宮跡が広大であることが判明する。改めて平城宮と比定された範囲には、すでに近鉄が電車を走らせていた。最悪なことに、第一次大極殿と朱雀門の間に線路があり、平城宮を南北に分断する状態だった。
奈良県・奈良市にとって、近鉄の線路は悩ましい問題だった。それでも、当時は平城宮が世界遺産に指定されていなかったので、重く受け止められることはなかった。わざわざ、線路を移設するような話ではないと判断され、線路問題は棚上げされた。
世界遺産に登録されてから、行政は重い腰をあげる。国土交通省・文化庁などによって、整備計画がまとめられ、一帯は国営公園になることが決定。このとき、線路が問題視された。
景観に配慮するなら、平城宮跡を分断している線路を地下化すれば済む。しかし、平城宮の区域は地下鉄を通すことが禁じられている。そうした事情もあって、奈良県や奈良市は線路を平城宮跡の区域外へ移設するよう近鉄に打診した。
一口に線路の移設と言っても、簡単にできる話ではない。
奈良県・奈良市と近鉄は主張を譲らず、長らく平行線をたどった。昨年、ようやく奈良県・奈良市・近鉄の3者によって協議が再開。それから1年、話し合いが前に進んでいる気配は見られない。
一体、何がネックになっているのか? 線路移設には用地買収が生じる。そのために、立ち退き交渉や補償、線路移設の費用が必要になる。それらの費用を奈良県と奈良市が全額負担しても、かかる労力と時間は尋常ではない。それが問題は再び膠着状態に陥らせた原因でもある。
この問題を根深くしている理由は、平城宮跡の踏切移設に伴って、近接する大和西大寺駅・新大宮駅の移転も取り沙汰されている点にある。
大和西大寺駅は、平城宮跡の約1キロメートル西、新大宮駅は約1キロメートル東にある。どちらも平城宮跡に近接しているため、線路移設の影響を受けることは避けられない。計画次第では、駅を移転する可能性も出てくる。