「自分の姿を見るというのは、どこかおぞましいというのが先に立ちますよね。だから、評価はできないです。わかんない、というのが正直なところです。恥ずかしいし。でも、その恥ずかしさと戦うんでしょうね。みんながいるところで泣いたり叫んだりするんだもの、恥ずかしくないわけないですよ」
いまや、映像の世界に不可欠とされる役者のスタートは、舞台である。自由劇場に参加後の1976年、ベンガル、綾田俊樹らと「東京乾電池」を結成。以来、この劇団に片足を置き続けている。
柄本には、『カンゾー先生』『うなぎ』など代表作も多いが、その一方で、強い印象を残した『万引き家族』のように、ほんの数分足らずの出演という作品も少なくない。出演作の選択基準についてはさらっとこう言う。
「こういう仕事って、基本、需要と供給のバランスで、自分のスケジュールが空いてりゃ、やるってことですよね。今回の『船頭』は出ずっぱりの役ですから、ある種特別なものはありますけど、でも、お仕事がくれば、だいたいやらせていただいております!」
作品によって思いの込め方、のめり込み方は違うのだろうか。
「そんなに変わんないですよ。その場所に行くんですよ。現場でこういう格好をして、こういうことをしてくれと言われたら、それをするんです。別に積極的な気持ちがないわけじゃないですよ。だけれども、そういう仕事なんだもの。船頭なら、船頭の格好をして、舟を漕ぐんですよ。暑い中、嫌だなぁと思いながら(笑い)」
やはり、職人なのだ。台本をひたすら読み込み、目の前の仕事を愚直なまでにこなしていく。その結果、その経験がまた厚みとなって積み重なる。