内田の勤務時間は午前9時から午後6時。事故当日は出勤間もない9時半ごろに、4階の一角に内田が倒れているのが発見されたという。発見したのはピッキング(商品を指示書通りに仕分けする作業)のアルバイトの男性だった。
男性が、そのことを物流センターを仕切る下請けの派遣会社《ワールドインテック》のリーダーに連絡すると、そのリーダーは別のリーダーに引き継いだ。このリーダーは、上司のスーパーバイザーに携帯電話で連絡し、その後、アマゾンの正社員がやってくる。
ようやく救急車が物流センターの1階に到着したのは10時30分過ぎのこと。内田が倒れてから1時間前後がたっている。その後、搬送先の病院で息を引き取った。享年59。死亡届に記入された死因は、くも膜下出血だった。亡くなった朝、内田と言葉を交わした庄司恵子(仮名)は、こう話す。
「始業前に2階で顔を合わせると、おはよう、っていつも通りにあいさつしたんです。今日の作業はどこなのって、内田さんに訊かれたので、2階ですって言うと、私はいつもと変わらず4階だよ、って返事があったんです。じゃあまたお昼にね、って言って別れました。出勤日が同じときは、いつも仲間数人で一緒にお昼を食べていましたから」
庄司が、内田の死亡を知るのは、翌日、出勤してからのことだった。アルバイト仲間が耳打ちするように教えてくれた。庄司はこう語る。
「びっくりしたのはもちろんのことですが、信じられない気持ちの方が大きかったですね。その日の朝、お昼を一緒に食べようね、って話していた人が突然いなくなるなんて……」
私が内田の亡くなった経緯を聞いていて繰り返し思ったのは、なぜもっと早く救急車を呼ばなかったのか、ということである。すぐに救急車を呼んでいれば、もしかしたら内田は助かっていたのかもしれない、との思いが頭から離れなかった。