北島の死亡については、冒頭の西川も耳にしていた。
「アマゾンの同僚からは、その日のうちに、警察が来て現場検証をしたと聞いています。けれど、北島さんが亡くなったことは、ワーカーさんに朝礼や昼礼で伝えることはありませんでした。ボクは、北島さんが亡くなった数日後に、上司との面談があったんですが、そのときに、北島さんが亡くなった話を持ち出しても、救急車で運ばれたのは聞いていたけれど、亡くなったとは知らなかった、と言っていました。センター内で起こった死亡事故を知らないなんて、信じられない気持ちでした」
亡くなった北島の妻の京子(仮名)に会えたのは、事故後1年以上たった翌年の年末のことだった。
「夫が亡くなった当日の朝、顔色が悪かったんで、私は、大丈夫? 会社休んだ方がいいんじゃないの、って言ったんですが、行ってくるよ、と言って、朝7時すぎに出ていきました」
と京子は述懐する。
横浜で生まれ育った正人は、中学卒業後、神奈川県下のガラス工場で20年近く働いたが、経営が左前になったとき、工場を辞めた。そのころ京子と結婚する。お互い38歳のときだった。
「口下手のおとなしい人でした。人付き合いも得意ではありませんでしたが、ちょっとでも話したことのある人なら、おもしろい人だね、って言ってくれるような人でした」
結婚直後は、リーマンショックなどの影響もあり、派遣や日雇いの仕事をするが、どれも長くはつづかなかった。2人の生活が行き詰まり、数年間は、生活保護を受けていた。その生活保護から抜け出すことができたのは2人で一緒にアマゾンで働くようになった2014年のこと。正人が雇われたのは(アマゾンの下請けの派遣会社)ワールドインテックだった。2人の定時の勤務時間は、午前9時から午後6時までで、週5、6日働いた。2人合計の収入は手取りで30万円前後になった。