中曽根康弘元首相が11月29日午前、死去した。101歳だった。1980年代、冷戦が激化するなか、外交の舞台で日本の首相として各国首脳と対等に渡り歩いてきた中曽根氏。『週刊ポスト』2011年1月21日号では、当時、関係悪化が懸念されていた中国との関係、政権をとっていた民主党などについて厳しく提言していた。当時の発言は今も示唆に富む。インタビューを全文公開する。
――日本の混乱を見透かしたように、昨年は朝鮮半島で「戦火」が上がった。この時期に、この地で不穏な動きが起きたことを、どのように見ていたか。
中曽根:朝鮮半島は、日本の歴史から見ても宿命的な問題をはらんでいる。例えば、日清・日露、そして太平洋戦争でも、朝鮮半島が重要な意味を持っていました。中国を含め、この地域にいかに対処するかは日本の外交、政治の重点であったわけです。日本の戦後政治は、戦前の教訓を踏まえて、極めて慎重にこの問題に取り組み、東アジアの平和の基礎機構を築くことを目標にしてきました。
それがここにきて、日本と朝鮮半島と中国それぞれの関係に、従来に比べてしっくりいかない要素が出てきてしまっている。
――北朝鮮の軍事行動は、日本への挑発も含んでいると考えるべきか。
中曽根:もちろんです。そして、北朝鮮の戦略には中国の動向が非常に大きな意味をなすことも忘れてはなりません。尖閣諸島の問題等で日中関係に軋みが生じたことが半島情勢にも影響を与えている可能性は十分にあります。
――中国が日本に対して強硬になったのはなぜか。
中曽根:経済力、国力の上昇が根本にあります。オリンピック、万博の成功を経て、大国としての存在感とともにナショナリズムが高揚している。それに伴い、主権の維持、沖縄を越えて太平洋の防衛線の堅持についても厳格に対応してきつつある。私はそう見ています。
――国威発揚のデモンストレーションと考えておけばいいのか、それとも領土拡張の動きと警戒すべきか。
中曽根:領土の野心はないと思います。ただ、領土・領域についての主張が、強力に護持するように変わってきたことは事実でしょう。つまり、具体的に領土がほしいとか、地下資源がどうとかいう問題より、主権を堅持、主張することで、従来の中国とは違う中国に前進しつつあるのでしょう。
――あなたの従来からの主張によれば、東アジアの安全保障の根底にはアメリカのプレゼンスがある。その力は変わっていないか。
中曽根:そこは中国が最も注意を払って外交を行なっている点でしょう。明治以来の日中の外交史を見ても、日本はアメリカを大事な後援者としてきた。それは現在も変わっていない。そのなかで、これまで中国が不問に付していたナショナリズムの分野においても、毅然として高く主張を始めたということですね。
アメリカは、度を過ぎた対外行動には警告を与えるでしょうが、中国が今やっている程度のことであれば注意しながら見守るだろうと思います。大国として互いに矜持をもって対応するというところでしょう。
――北の核開発についても黙認するのか。