──「共通テストで記述式問題が導入されると、自己採点ができなくなり、どの大学へ出願するか迷う」という批判もある。
鈴木氏:大学にもよりますが、総得点500点のうち、国語の記述式の占める配点は20点です。20点のうち、仮に、自己採点に迷うことがあったとしても、せいぜい、プラス・マイナス1点から3点の範囲で、総得点が500点であることを考えれば、自己採点での迷いによって出願先に迷うというケースは極めて少ないと思われます。そもそも自己採点ができないというケースは、問題をほぼ理解していないことと同義で、回答できていない証拠です。これも重箱の隅をつつくような批判です。
今回、本当によくわかったのは、日本社会というのは、どんな小さなブレでも許容しないということです。何十年もずーっとマークシートで1点を争ってきて、それが常識になってしまい、ほんのわずかなブレでも許せなくなっている。AI時代に大量の失業者を生み出すことよりも、25万分の1~4程度の採点のブレのほうを問題視する。大局や未来のことよりも、目の前のミスやブレにとことんこだわる民族になってしまいました。これこそまさにマークシートを続けてきた弊害と言えるのではないですか。
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国公立大学の入試としてマークシート方式の「共通一次試験」が始まったのは1979年。日本ではおよそ40年もの間、マークシート方式の入試を続けてきた。それが鈴木教授の言うように、日本社会が重箱の隅をつついてミスをあげつらう社会になった原因なのかは定かでないが、社会に何らかの影響を及ぼしてきたとしても不思議ではない。右肩上がりから右肩下がりへ、曲がり角を迎えた日本においては、人材に求められる能力も今までと異なってくる。教育のあり方を問い直すべきという意見を否定する人はほとんどいないのではないか。その視点で今回の大学入試改革を改めて見直したいものだ。
●取材・文/清水典之(フリーライター)