関東篇となりますと3月、地球の上に朝が来る~~ッの川田晴久(美空ひばりの師匠としても高名)の流れを汲む、灘康次とモダンカンカンのリーダー(親方)灘康次。談志の呑み会などでよく会った。4月、お笑い界の中でも、芸能界の中でも超メジャー、我らが日大芸術学部の大先輩「グラッチェ」ケーシー高峰。これほどどこへ行ってもどんな所でも大きな笑いを確実にとれる漫談家はいなかった。医学ドラマ『ベン・ケーシー』からその名を勝手にもらった。4月の同じ日、新聞の訃報欄に載ったのが「ナンセンス」の原田健二。浅草のポンコツ芸人としてナイツからいつもいじられていた。それが嬉しそうだった。
8月には「ひでや・やすこ」として高座にあがっていた新山ひでや。最後はかつらをカミングアウトしてこれもナイツから絶妙のつっこみをもらって満足そうだった。
覚えておいて欲しい人が、戦後新宿の「ムーラン・ルージュ」で憧れのスターだった明日待子。100歳近かったと思う。野末陳平が早大時代通いつめたと言う。
■イラスト/佐野文二郎
※週刊ポスト2020年1月3・10日号