梅宮辰夫一覧

【梅宮辰夫】に関するニュースを集めたページです。

石原さとみの人気は高い(時事通信フォト)
ヤクザに聞く「ヤクザ映画のヒロイン演じてほしい女優」石原さとみが大人気
 ヤクザ映画のファンは多いが、リアルを追求するなら“ホンモノ”に頼むのが一番。ヤクザが監督になったら、どんな俳優をキャスティングしたいのか? ライターの鈴木智彦氏が現役組員100人にアンケートを実施。鈴木氏が綴る。【Q1】「監督なら誰をヤクザの情婦にするか?」・1位 石原さとみ 23人・2位 米倉涼子 16人・3位 壇蜜 9人・4位 吉永小百合 8人・4位 橋本環奈 8人・6位 清原伽耶 7人・6位 川口春奈 7人・8位 梶芽衣子 3人・8位 沢尻エリカ 3人・同率10位 それぞれ2人 篠原涼子、内田有紀、永作博美、矢田亜希子、井川遥、松嶋菜々子、菅野美穂、深津絵里 石原さとみはダントツの圧倒的人気だった。「ヤクザは全員好きだと思う。総長の女っぽい感じがすごくする」そうである。米倉涼子が「なんでもしてくれそう。注射器の扱いがうまそう」というのは主役を演じた女医ドラマのせいだろう。 壇蜜は世代問わず人気で「長い懲役でも待っててくれそう」だが、ヤクザたちは最近の激やせを心配している。吉永小百合を推したのは年寄りだろうと決めつけないで欲しい。一番多かったのは40~50代だ。が、橋本環奈を挙げたのはみな若い。単に付き合いたいということらしいが、そうなったら「浮気騒動でヤバい事件が起きそう」と評した組長もいる。 清原伽耶は『おかえりモネ』の主役だし、川口春奈は昨年の大河のヒロインである。ちなみに最近は警察がうるさいので、NHKの受信料を支払っている組事務所が増えている。梶芽衣子は熱烈ファンがいまもいる。 沢尻エリカの「ドラッグとか好きそう」は冗談なのか本気なのか分からない。篠原涼子は「ヤクザの姐さんによくいるタイプ」で、内田有紀は「修羅場でもびびらなそう」で、永作博美は「度胸があって警察ともバチバチにやり合いそう」という理由だった。矢田亜希子の「不良の男が好きそう」はあまり笑えない。 井川遥は「美人なのに男を顔で選ばなそう」で、松嶋菜々子は「とにかく強い男が好きそう」、菅野美穂は「若い衆に気を配ってまとめてくれそう」、深津絵里は「堅気なのに騙されて竿師と結婚しそう」らしい。余計なお世話であろう。【Q2】「本物だと思うヤクザ俳優は?」・1位 高倉健 38人・2位 梅宮辰夫 9人・2位 小林旭 9人・4位 松方弘樹 8人・5位 千葉真一 7人・5位 ビートたけし 7人・7位 哀川翔 5人・8位 菅原文太 3人・9位 小沢仁志 2人・同率10位 それぞれ1人 成田三樹夫、若山富三郎、山口祥行、池部良、勝新太郎、鶴田浩二、白竜、的場浩司、中野英雄、本宮泰風、寺島進、安藤昇 1位の高倉健は、約4割の支持を集めて圧倒的である。「健さんに憧れてヤクザになった」と断言する人も10人程度いた。梅宮辰夫、小林旭、松方弘樹、千葉真一らは東映実録映画の常連で、ヤクザ映画全盛期のスターなので妥当な評価だ。そう映画マニアではないのにビートたけしは評価が高い。本物に伝わる凄味があるのだ。 哀川翔、菅原文太、小沢仁志と、それぞれヤクザ映画やVシネマの帝王も名前が挙がった。健さんに圧倒的大差を付けられ、文太が生きていれば憤ったかもしれない。【プロフィール】鈴木智彦(すずき・ともひこ)/1966年、北海道生まれ。日本大学芸術学部写真学科除籍。雑誌・広告カメラマンを経て、ヤクザ専門誌『実話時代』編集部に入社。『実話時代BULL』編集長を務めた後、フリーに。近著に『サカナとヤクザ 暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う』(小学館文庫)。※週刊ポスト2021年10月15・22日号
2021.10.13 16:00
週刊ポスト
梅宮辰夫さんが最期まで書いていた「レシピノート」 アンナが受け継ぐ
梅宮辰夫さんが最期まで書いていた「レシピノート」 アンナが受け継ぐ
 配偶者が亡くなったあと、遺品をどう整理していくかは、大きな問題だ。大切にしていたものを簡単に手放すことも難しいし、かといってそのままにしていいものだろうかと迷ってしまう……。「主人が亡くなってひとりになって、こんなに寂しいとは思いませんでした。周りにいる夫を亡くした仲間たちは『せいせいした』なんて言ってたけど、主人が隣にいるのが当たり前だったから、本当にいたたまれなくなって、ひとりでいられなくなっちゃって……」 そう話すのは、2019年12月に夫の梅宮辰夫さん(享年81)を亡くした、妻のクラウディアさん(77才)だ。 梅宮辰夫さんといえば、昭和を代表する銀幕の大スター。出会った当初は「夜の帝王」の異名を持つプレーボーイだったが、「床の間に飾っておきたい」というほどクラウディアさんに惚れ込み、一粒種のアンナ(49才)とともに溺愛していた。 辰夫さんは1974年、36才のときに睾丸がんを発症したが治癒。その後、計6度ものがんを克服したものの、がんは体中に転移していて、100kg近くあった体重が半分ほどになっていた。 2019年、東京の自宅を処分し、神奈川・真鶴町の別荘を終の棲家と決めて家族で移住。1回4時間の人工透析を週3回受ける闘病生活を送っていた。「それでも、死ぬなんて全然思っていなかったの。透析のない日は朝から買い物に出かけ、好きな食材を買ってくる。塩っ辛いものが好きなんだけど、自分は塩分も水分も制限されてるから、料理するだけで食べられない。それでも最後まで料理は主人がしてくれていました」(クラウディアさん・以下同)最期まで書き続けたレシピノート 家のことはすべて辰夫さんが取り仕切っていた。財産のことも、銀行の口座にいくら入っているのかもクラウディアさんにはわからない。アンナとともに「何かあったらわかるようにしてほしい」と何回かお願いをしたところ、ノートに何か書いているのを見て、エンディングノートや遺言書の類いを記しているのだと思っていたという。「ところが、亡くなって見てみたら、料理のレシピばっかり。目次まで作って、細かく記している冊子が何十冊も。 本当に料理が好きで、手料理を振る舞っては、私たちの喜ぶ顔を見て、『うまいだろ』って自分も満足していました。主人は、それらのレシピと、そのときの私たちの笑顔を残したかったんだなとしみじみ思います」 辰夫さんのレシピは料理本などを参考にして少しずつアレンジして自分流の味を作り上げたもの。これをアンナが引き継ぎ、メンチカツなどの料理を作ろうと毎日奮闘。9月からは、ぬか漬けも始めたという。「主人はぬか漬けが好きで、毎日の手入れを怠りませんでした。仕事で留守にするときは、『1000円あげるから、ぬかみその手入れをして』と私に頼むほど(笑い)。主人のぬか床はダメになっちゃったけど、アンナが作り始めてくれたから楽しみです。私も手入れの仕方を教わってきたから、アドバイスできるし、あの味に近づいたらいいなって」 真鶴のキッチンには、辰夫さんが2019年の春に漬けた「らっきょう漬け」が残っている。最後に漬けたものだから、大切に食べていきたいという。調理器具も衣類もほとんど処分 レシピノートのように受け継ぐものもあれば、手放したものも多い。辰夫さんが愛用していた調理道具や食器類の大半は、真鶴に引っ越す際に処分している。「なんでこんなにというくらい包丁がありました。私もアンナも使いこなせないので、欲しいという人に譲りました。食器にしても、アンナのお気に入りだけを残している。私のお気に入りの食器もたくさんあったけど、東京の家から引っ越すときに段ボールで10箱分は処分しちゃった。そんなに持っていけないからって言われてそのときは納得したけど、思い入れのあるものもあったから、何とかして1、2箱だけでも持っていけばよかった、といまになってものすごく残念に思います」 辰夫さんの私服などは、ネクタイなど一部を知り合いに譲った以外はまとめて処分した。残されたクラウディアさん、アンナ、百々果さん(19才)という女3人の家族には必要ないものだからだ。 それでも大切にとってあるのは「番長」という刺繡の入ったキャップ。これは、辰夫さんのクルーザー「番長号」にちなんで、友人らが作ってプレゼントしてくれたものだ。「主人は、キャップをかぶって『似合うでしょ?』って私に聞いたけど、本当に帽子が似合わない人だったの。だから、普段から帽子はもっぱら部屋に置いたままで、いまもそのままにしています」 そのほか、知り合いからプレゼントされたネクタイなどは残しているものの、辰夫さんがそもそも衣服には無頓着だったため、たいがいは思い切って処分したという。釣り仲間に愛用の道具を手渡し 一方、辰夫さんの思い入れが強かったのが、趣味の釣り道具だ。「洋服は自分で買わなくても、釣り道具は自分で買う。釣る魚によって使う道具も変わるので、本当にたくさんあった。釣る魚よりも道具の方がはるかに高くて、金額にしたらものすごいことになっていたと思う。 大切にしていたものだから、大切に残してあげたいけど、私たちは釣りをしないし、持っていてもしょうがない。だから、主人が所属していた北九州のフィッシングクラブのかたたちに譲りました」 辰夫さんが亡くなったのは2019年12月12日。そのわずか10日後、アンナとマネジャーと一緒に3人で東京から1000㎞もの道のりを車で移動。100万円クラスのリールや釣り竿など、たくさんの愛用品を辰夫さんの愛車アルファードの荷台いっぱいに詰め込んで持っていったという。アンナはブログ『anna style』で、《父の人生の中で、一番楽しかった事は、間違いなく、船に乗り、魚を追っ掛けることだった事でしょう》と綴っている。 辰夫さんが所有していたクルーザー「番長号」は、闘病生活に入った際に手放し、愛車もすでに手放した。思い入れのあるものだからといって、すべて残していても、使わなければ意味がない。それよりも、大切に使ってくれる人の手に渡った方がいい、とクラウディアさんもアンナも考えている。「残すものは、レシピノートとほんの少しの愛用品で充分。最後の日々を過ごした真鶴の家も一度は手放そうと考えたものの、リフォームをして住み続けたいと考えています」【プロフィール】梅宮クラウディアさん/1944年3月20日、アメリカ生まれ。父はドイツ系アメリカ人、母はスペイン系アメリカ人。5才で来日し、16才からファッションモデルに。1972年、28才のとき、梅宮辰夫さん(当時35才)と結婚。家族でテレビ番組に出演することも多かった。2019年に夫と死別後、都内で娘のアンナ(49才)と暮らしている。取材・文/山下和恵 撮影/浅野剛※女性セブン2021年10月21日号
2021.10.08 16:00
女性セブン
梅宮辰夫さんが50年前にした告白を振り返る(写真/共同通信社)
梅宮辰夫さん、50年前の告白 華麗なる女性遍歴に隠された「色男の弱さ」
 今年で創刊52周年を迎えた『週刊ポスト』。1969年の創刊当初から始まった人気連載が『衝撃の告白』だ。銀幕の大スターや渦中の人物が赤裸々に語った証言はまさに“衝撃”の連続で、『週刊ポスト』の躍進に大きく貢献した。当時、彼らはどんな思いを吐露したのか。1971年6月18日号に登場したのは梅宮辰夫。甘いマスクでモテモテだった梅宮だが、プレイボーイと呼ばれることには葛藤があったという。当時の記事から梅宮の告白を振り返る。「知っている女の数はよくわからないけど、百五十人ぐらいかな。でもおれはプレーボーイじゃないよ。この看板だけはなんとしてでも取りはずしたいと思っているんだ」 日本大学法学部在学中の1958年に東映ニューフェイスに合格後、梅宮辰夫は取材時点で132本もの映画に出演していた。1968年から始まった『不良番長』シリーズが大人気となり、看板スターの座に君臨。1970年、山城新伍とのコンビで『夜遊びの帝王』が公開され、主題歌も担当。幾人もの女性との噂が持ち上がった梅宮について、『衝撃の告白』では3人が回想している。 1968年12月に梅宮と結婚したものの、半年弱で離婚した銀座のクラブ『姫』のホステスだった大門節子は「別れた私が、歌手として歩みはじめ、マスコミでさわがれだす。スターの彼よりも脚光を浴びる。そのことに彼は耐えられない」と貶した。 交際4年半で半同棲もした久保菜穂子は「私にとっては、学ぶところの全然なかった人ね。(中略)過去のある日、スーと通りすぎていった人という記憶だけが、かすかに残っているだけです」と言い切った。 梅宮が最近惚れたという離婚歴のある松尾和子は「お酒の好きな私には、気がねなくつきあえる、かっこうの飲み友だちですわ」と恋愛対象外だと突き放した。 女性遍歴を振り返りながら梅宮は自己分析を始めた。「影の部分に魅かれながら、結局は、その影によっておれは押し潰されてしまっている。女はもっと弱いはずなのに、おれにすがろうとはしてくれない」 そして、逃れられない心理に気付く。「男のおれのほうがよっぽど弱いのかもしれない。別れた後で、おれはいつも『あの女、今ごろ何をしてるかな? 幸せにしているかな?』って思うんだもの」 精神的に女性にのめり込むという梅宮は、意外にもセックスには淡白だという余計な告白も厭わなかった。「いちどだけ枕もとに時計を置いてやったことがあるけど、二十分ももたなかったものな。税金のことなんか考えて気を散らしたけど駄目だった」 素直に心情を吐露する長者番付の常連は、自分の中で結論を下した。「そのつど、真剣に女を愛したおれは、それでもプレーボーイと呼ばれるのか。それなら、甘んじて“プレーボーイ・梅宮辰夫”の看板どおりに生きることにしようじゃないか」 この翌年、クラウディア・ビクトリアと再婚して長女・アンナを授かる。しかし、1974年に衝撃の記事が出る。モロッコで性転換手術をしたばかりのカルーセル麻紀が梅宮辰夫に処女を捧げた──というのだ。 しかも、直撃を受けた梅宮のマネージャーやカルーセルは事実と認めた。だが、実は再婚後に夜遊びをしなくなったため、東映が“プレーボーイ”の愛称を復活させようと仕掛けた作戦だった。梅宮は「結託して(中略)雑誌を利用させてもらった」「ボクのも大きいので、そんなところへ入るわけないよ」とギャグ交じりに告白している(アサヒ芸能・1974年4月18日号)。 付き合った女性からの酷評を正面から受け止め、自分の弱さを偽りなくさらけ出す。会社のために話題作りも厭わない。そんな梅宮は稀代の色男だった。構成・文/岡野誠【※本特集では現在の常識では不適切な表現が引用文中にありますが、当時の世相を反映する資料として原典のまま引用します】※週刊ポスト2021年8月27日・9月3日号
2021.08.17 19:00
週刊ポスト
梅宮辰夫さんが娘・アンナに遺した言葉とは(写真/共同通信社)
娘・アンナが聞いた梅宮辰夫さんの最期の言葉「病気してまで生きたくない」
 昭和の銀幕スターとして輝き、豪放磊落な私生活で“夜の帝王”と浮名を流した俳優の梅宮辰夫氏。1974年に睾丸がんを患い、以降、2018年に前立腺がん、2019年に尿管がんなど6度のがんの手術を受けては復活してきたが、2019年12月12日、慢性腎不全のため死去。81歳だった。娘・梅宮アンナが、父が遺した「言葉」を振り返る。 * * * パパは「長生きって問題だな」とずっと言っていました。(2019年1月に)腎臓を摘出する手術を受ける時に、私の腎臓をあげることでパパが楽になるならそうしてあげたいと医師に申し出ましたが、「せっかくあげてもまたがんになるかもしれないから、お子さんのために残してあげてください」と言われて思い留まってしまいました。それを今でも後悔しています。 パパは亡くなるまで10か月ほど人工透析をしていたのですが、本当に大変だった。買い物も掃除も料理も全部自分でやる人だったから、それができなくなって心が破壊されたような状態になってしまって、ケアする家族の負担も大きかった。 誰に対しても「いいよ~」と度量が大きかったのに、何をやっても怒鳴るようになって、性格や言葉まで変わっていく姿を見るのが辛かった。 最後に言葉を交わしたのは、亡くなる1か月ほど前。様子を見に行くと「何しにきた!」って不機嫌に……。自分の最期ぐらい、自分で決めたかったと思うんです。パパはいつも「これ以上はいい。透析もやらなきゃよかった」と話していました。「病気してまで生きたくない」 それが私が聞いた最期の言葉でした。 亡くなった日、パパが救急車で運ばれた病院で蘇生措置している時に私は東京から駆けつけました。医師が「骨が折れていますが、続けますか」と聞いてきたので、「もういいです」とやめてもらいました。 私たち家族にとって、パパはスーパーマンでした。ママ(クラウディアさん)はお姫様のような人で、パパはいつも「何もしなくていいから」と許していましたし、私も子供の頃から勉強しろなんて言われたこともなくすごく自由に育ちました。 いつもママと喧嘩する度にパパが言っていたのは「三つ指ついておかえりなさいって言ってくれる女はいっぱいいる」。でも、ホントはパパはそういう女性は嫌でしょって思ってた(笑)。何もしない女性のほうが良かったんだろうなって。 芸能界に私が入る時は「一回乗った船は途中で降りるなよ」と話しただけで反対されませんでした。それにね、パパからは「世の中に悪い人はいない」とも教わったんです。パパも一般的な社会人とはズレていたから、私が今思うのは、冗談じゃないわよ、全然違ったじゃないってこと(笑)。 パパは何かと心配ばかりしていて、生前、テレビ番組でも「俺が死んだ後、あいつがどう人生を送ってくれるかがすごい気がかり」なんて言ってたけど、亡くなってからの1年半の私を見せてあげたいですね。 私が自由奔放に破天荒に生きてきたって言われるのを否定はしないけど、パパが亡くなってからは遺言もなく、銀行口座がいくつあるのかもわからないなかで相続の手続きから何から全部私がやりました。そういうパパが心配していた部分はクリアできたと思っています。 亡くなってからのほうがパパときちんと向き合っていて、毎日「パパ、これ合格ですか?」と仏壇の前で問いかけています。いつもパパが見てくれている気がしています。※週刊ポスト2021年8月20日号
2021.08.11 07:00
週刊ポスト
梅宮辰夫さん逝去から1年、妻と娘が語る相続と家族関係の変化
梅宮辰夫さん逝去から1年、妻と娘が語る相続と家族関係の変化
 2019年12月に亡くなった俳優の梅宮辰夫さん(享年81)。さまざまな遺産をのこした辰夫さんだったが、遺言書がなかったため、妻であるクラウディアさん(76才)と娘のアンナ(48才)は、役所や金融機関に何度も足を運ぶなど、奔走することとなった。【写真】梅宮辰夫さんが闘病中に作成したレシピ本の中身 相続人が他にいないか戸籍を調べるため、辰夫さんが満州から引き揚げた後に住んでいた茨城・水戸や、辰夫さんの祖父の出生地である福島・会津若松の市役所にも行ったという。辰夫さんの逝去から1年、アンナが振り返る。「父が亡くなった直後に始まった相続手続きは、2020年7月下旬に無事終わりました。相続税の申告は亡くなってから10か月以内に済ませなければならないのですが、遺言書も財産の一覧表も何も残っていなかったため苦労しました」 とはいえ遺言書がなかったからこそ、相続の手続きの一つひとつや遺品整理をしながら、父のことを思い返すことができたという。血のつながった親子とはいえ、遺言書のない場合の相続は“もめごと”がつきもののイメージがあるが、がんばるアンナの姿にクラウディアさんは異議を唱えることはなく、何一つもめごとは起こらなかった。クラウディアさんはこう振り返る。「本来なら、私もいろいろ動かなければならなかったのですが、ほとんどアンナにやってもらってしまいました。本当は私は自分でいろいろ動くタイプなのに、なんにもできなくて悔しさやじれったさもありました。アンナは慣れていないことばかりで、大変だったと思います」 夫の相続に奮闘する娘の背中を見て、クラウディアさんの意識も変わったという。「アンナと一緒に銀行へ行くと、そのたび書類にサインをしなくちゃならなかった。私はこんなに長い間日本にいるのに、周りは親切な人ばかりだったから、日本語を読み書きできなくてもいままで困ることがなかったんです。でも、私はいままで何をやってたんだろう!って反省して、小学1年生用のドリルを買ってきました」(クラウディアさん) 辰夫さんとの間に隠しごとは何もなかったというクラウディアさんは、家族思いの夫が、残される自分たちのために生前からやさしい気配りを欠かさなかったことを語る。「たとえば、主人が自分の洋服や靴を買うときなんかは、マネジャーに頼んで2、3足まとめて買ったりするんですが、決して高いものを買わず、安い商品を選んでいました。キッチン用品なんかも、コストコで安くまとめ買いしていて。少しでも私たちにお金を残しておこうとしてくれていたんだなって、亡くなってからわかりました。私は主人にとってあまりいい奥さんじゃなかったかもしれないけれど、私にとって主人は最高に素敵な人でした」(クラウディアさん)◆コロナ禍を体験せずに済んでよかった 辰夫さんの死は、娘と母の関係にも変化をもたらしている。ひとりが嫌いなクラウディアさんは、アンナを頼って日々、密に寄り添い合おうとするが、アンナはクラウディアさんの「甘え」を厳しく制している。「心を鬼にして『私はママと価値観が合わない』と本音をぶつけて、けんかになることもあります。ちょっとかわいそうかなとも思いますが、私とのやりとりが刺激になって母もボケないかなって。大黒柱を失って、私たちのような体験をしている母と娘が世間にはほかにも少なからずいるんじゃないのかなと思っています」(アンナ) 梅宮家の大ピンチを乗り越えたアンナは、改めて辰夫さんの最期を振り返り、コロナ禍前に辰夫さんが亡くなったことはせめてもの救いだったと明かす。「透析のため病院に通っていたし、肺も弱っていたから、もしいまだったら大変さが何倍にもなっていたかな。闘病中のパパに近づくことさえできなかったかもしれない。パパがコロナを知らずに亡くなったことはよかったって思います」(アンナ)※女性セブン2020年1月7・14日号
2021.01.03 07:00
マネーポストWEB
有名女優がヌード写真集を立て続けに発売する時代があった(イメージ)
「魔性の女」葉月里緒奈の伝説的写真集が50万部売れた背景
 1990年代に大ブームとなったヘアヌード。その先駆的存在である樋口可南子の写真集『water fruit』が発売された1991年から、30年となる。これまで、たくさん女優たちがカメラの前で裸体を晒し、世間に驚きを与えてきた。そんなヘアヌード写真集の問題作を振り返る。●梅宮アンナ『アンナ 愛の日記』(撮影/篠山紀信、新潮社、1995年) 1994年に梅宮アンナと羽賀研二の交際が、続いて羽賀の億単位の借金問題や女性問題が表面化。アンナの父、梅宮辰夫の反対をものともせず2人は突っ走り、「ヘアヌード」ならぬ「ペアヌード」写真集まで出版した。世間は2人を「バカップル」と呼んだ。 写真集の中で勝手に自分の写真を使われた梅宮辰夫は激怒し、版元に肖像権侵害で抗議。これらの過程がすべてテレビ、新聞、雑誌の芸能マスコミに取り上げられた。言わば「劇場型ヌード写真集」となった。4年後、アンナは「愛は消えた」とテレビで告白した。●葉月里緒奈『Riona』(撮影/篠山紀信、ぶんか社、1998年) デビュー当初は清純派美少女と呼ばれたが、19歳の時の映画『写楽』で共演した真田広之との不倫が話題に。その際、「相手に奥さんがいたらいけないんですか」の発言で、「魔性の女」ぶりが露わになる。 その3年後、ヘアヌードに。「真田はこの体を抱いていたのか」と男たちの想像力をかき立て、50万部の大ヒット作となった。●山本リンダ『WANDJINA』(撮影/遠藤正、竹書房、1993年) 自分の楽曲をハウス調にセルフカバーして人気が再燃していた頃に出した、奇抜なボンデージに身を包んだヘアヌード。 ラジオ番組でパーソナリティが「おぞましい」「買ってはいけない」と酷評して訴訟騒ぎになったが、ヘアが写った写真の数は他の写真集より多く、ヘアの面積も広いことがマニアの間で話題になった。※週刊ポスト2021年1月1・8日号
2021.01.01 19:00
週刊ポスト
梅宮辰夫さんが生前に東京の豪邸を売却、娘アンナは「救われた」
梅宮辰夫さんが生前に東京の豪邸を売却、娘アンナは「救われた」
 任侠映画に欠かせない銀幕スターであり、海釣りと料理がプロ級の腕前だった梅宮辰夫さんが慢性腎不全で亡くなって、早くも1年が経った(2019年12月12日逝去・享年81)。【写真】梅宮辰夫さんが闘病中に作成したレシピ本の中身 満州で生まれた辰夫さんは終戦後に博多(福岡)へ引き揚げたのち、医師だった父の都合で水戸(茨城)や東京などを転々とした。大学在学中に銀座でスカウトされ、映画俳優として活躍するも、個人事務所の倒産、離婚を経験し、クラウディアさん(76才)と再婚するなど激動の人生を歩んだ。 晩年は若い頃の豪放磊落ぶりを反省。病気がちではあったものの家族を大切にし、クラウディアさんと一人娘のアンナ(48才)、アンナの娘であり養子縁組を結ぶ百々果さん(18才)に囲まれ、人生を謳歌しての旅立ちだった。「大黒柱」を失った3人の女性たちは、その後の相続手続きに奔走した。アンナが明かす。「父が亡くなった直後に始まった相続手続きは、2020年7月下旬に無事終わりました。相続税の申告は亡くなってから10か月以内に済ませなければならないのですが、遺言書も財産の一覧表も何も残っていなかったため苦労しました。母の前に別の人と結婚していたことがあるし、ほかに相続人がいないか、戸籍をすべてたどって証明しないと凍結された口座の解除もできないんです。満州から引き揚げた後に住んでいた水戸や、パパの祖父の出生地である福島・会津若松の市役所にも直接足を運びました。もし、あのまま銀行の口座が凍結されていたらって考えると、ゾッとします」 辰夫さんはかつての時代背景もあり、1つの銀行に複数の口座を開設するなど、たくさんの口座を持っていた。「パパ名義の車も複数台あったのですが、名義変更もできず売ることもできずに困りました。それでも自動車税の納税通知書は来る。さらに銀行の貸金庫も解約できないまま使用料だけ毎月払わされていたんです」(アンナ) 遺言書がない場合、遺産分割は法定相続分に従うのが一般的だ。梅宮家の場合、妻のクラウディアさんが2分の1、残りをアンナと養子である百々果さんで折半することでまとまった。◆都心の豪邸を残されてもうれしくない これらの手続きは、もちろん弁護士や税理士などの専門家の助言を受けてのことだったが、それでもアンナ自身が動かなければ物事が進まない場面が多かったそうだ。「母は憔悴してそれどころでなく、私が役所や金融機関に足を運んだ回数は60回以上になります。パパは最期の瞬間までベッドで書きものをしていて、私が『書いて』ってお願いした遺言書だと思っていたら、じつは料理のレシピを目次つきで綴っていたんです(笑い)。ですが、遺言書はなかったとはいえ、細かく整理してくれていたし、借金もなかったので助かりました」(アンナ) そんな中でも、アンナが最も「救われた」と話すのは、都心の自宅を生前に売却していたことだ。晩年の辰夫さんは、愛してやまなかった神奈川・真鶴の別荘を拠点としていた。もし、都心の豪邸もそのまま残されていた場合、相続税は莫大なものになり、相続を放棄せざるを得なかっただろうとアンナは語る。「真鶴の家はいまも残っています。東京と地方では相続税(不動産の相続税の評価額)の桁が違うんです。東京の一等地に豪邸を残されても、正直なところ、家族はうれしくないですよ」※女性セブン2020年1月7・14日号
2020.12.28 07:00
マネーポストWEB
梅宮アンナ 父・辰夫さんの遺言書が「なくてよかった」と語る理由
梅宮アンナ 父・辰夫さんの遺言書が「なくてよかった」と語る理由
 故人の考えや思いを伝える貴重な手段である「遺言書」。通常の手紙とは違って、本人がこの世を去った後に内容が明らかになる。その遺言書に関して、7月10日から、「自筆証書遺言書保管制度」という新たな制度がスタートする。司法書士法人ABC代表の椎葉基史さんが解説する。【写真】梅宮辰夫さんが闘病中に作成したレシピ本の中身「遺言書には、自分で書く『自筆証書遺言』と、公証人が作成して保管まで行う『公正証書遺言』の2種類があります。自筆の遺言書は作った後に紛失したり、第三者が意図的に破棄するなどトラブルが多く、一般的に遺言書というと公正証書遺言が使われることがほとんど。しかし、公正証書遺言は手数料などの費用が高いため、そもそも遺言書を残そうとする人が少ないんです。新制度では、保管に難があった自筆の遺言書の問題点をクリアにし、積極的に遺言書を残してもらおうというのが狙いです」 意外だが、遺産相続で揉めるのはお金持ちではなく、相続財産5000万円以下の中流層以下が圧倒的に多い。自分には関係ないなどと決して思わず、できる限り遺言書を残すことが望ましい。しかし、なかには遺言書を残したせいで、トラブルになることもある。「紀州のドン・ファン」と呼ばれ、2018年5月に急性覚醒剤中毒で急死した資産家の野崎幸助さん(享年77)は、13億円といわれる財産すべてを、居住地である和歌山県田辺市に寄付するとの遺言書を残した。これに親族らが不満を持ち、遺言書の無効確認を求めて裁判を起こし、現在も係争中だ。 法的効力を持つ遺言書に限らずとも、故人が最期に口にしたり、ひそかに残していた「遺言」は大切なメッセージとして、残された人々に影響を与えることもある。こういった「遺言」に振り回されるのは、誰もが知る有名人も例外ではない。◆遺言書を書いていると思ったら、料理のレシピ本だった 昭和の銀幕スターでありながら、気さくな人柄で日本中から愛された梅宮辰夫さん(享年81、2019年12月逝去)。晩年は東京の自宅ではなく、別荘として使っていた神奈川・真鶴の家に移り住んだ。しだいに体中にがんが転移し、100kg近くあった体重は半分ほどまで減少。1回4時間もかかる人工透析を週に3回受ける壮絶な闘病生活を送った。 男らしく、家族思いの辰夫さんだったが、「終活」の場面では違った。娘のアンナ(47才)が振り返る。「父は自分が死ぬことを想像するのが嫌だったんでしょうね。昨年の夏頃に私が、『言いにくいけど、ある程度のお金をママか私の口座に移してほしい』と相談しても、自分のお金を奪われると思ったみたいで、『あげない』の一点張り。元気な頃の父なら家族が困らないよう配慮してくれたはずだけど、病気は人を変えてしまうんです。そのせいで、顔を合わせるたび、けんかになっていました」(アンナ・以下同) 辰夫さんの妻のクラウディアさんは、「何かあったら困るから、遺言書を書いておいて」と常々お願いしていた。辰夫さんは「わかった」と返事をして、筆を走らせた。「朝からずっと書き物をしているので、てっきり遺言書を書いているものだと思ったら、お料理のレシピ本を書いていたんです。目次まで作る凝りようで、その細かさには驚かされました(笑い)」 結局、辰夫さんが「遺言書」を残すことはなかった。不動産や預金通帳など、梅宮家の資産はすべて辰夫さんの名義だったため、葬儀が終わるとアンナは「書類地獄」に奔走することになる。「父の預金口座は、死後1週間で凍結されていました。母は憔悴しきっていたので、私がひとりで役所や銀行を駆けずり回るしかなかった。たとえば父の携帯電話を解約するだけでも、除籍の証明書や親子関係を証明する書類が必要なんです。住民票や戸籍の書類を取りに、50回は区役所へ行きましたよ」◆大変だけど楽しい時間だった 1つだけ、辰夫さんが生前に準備しておいたことがある。莫大な相続税の負担を減らすため、アンナの娘の百々果ちゃん(18才)を5年前に辰夫さんの養子にしていたのだ。 ただ、相続は身近にいる家族だけの問題ではないことが、死後になって身に染みたという。「法定相続人となる人がほかにいないか確認するため、生まれてから亡くなるまで父のすべての戸籍をさかのぼる必要があったんです。この作業がいちばん大変でした。ラッキーなことに、うちはNHKの『ファミリーヒストリー』に出演したことがあったので、NHKのスタッフのかたに教えてもらって父の人生をたどることができました。もう半年以上作業を続けてきて、やっと終わりが見えてきたところです」 ドラマなどでは、故人が亡くなった後に隠し子が発覚するといった展開はよくある。梅宮家にはその心配はないようだが、ごく一般的な家庭でも生じることがあるという。「戸籍というのは、結婚や離婚、子供の誕生などで、一般の人でも4~5回は変わっているものです。実は家族の誰も知らなかった婚外子がいて、故人が過去に認知していたら、その子供にも相続の権利がある。戸籍をさかのぼっている途中で発覚するケースは実際にあります。また、故人がどこに不動産を所有しているのかわからないというトラブルもある。その場合は、過去に住んでいた地域を明らかにし、市町村に調査をする必要があります」(椎葉さん) 生前にそうした問題を整理し、遺言書にしっかり書き留めていれば遺産整理は格段に楽になる。だが、父の死後の手続きに振り回されたアンナは、意外な思いを語る。「もちろん、遺言書があれば困らずに済むこともあります。ですが、私の場合はなくてよかった。遺言書があったら、淡々と指示に従うだけで、こんなに父のことを考えなかったかもしれないし、おもしろくなかったと思うんです。遺産や遺品の整理をしながら、『パパはどうすれば喜んでくれるだろう』って考える時間は、すごく大変だけど、楽しい時間でもあるんです」(アンナ・以下同) 辰夫さんの終の住み処となった真鶴の家も、アンナの心を変えた。「父とけんかばかりした真鶴の家が私は嫌いで、すぐに売るつもりでした。でも、新型コロナによる外出自粛期間を真鶴の家で過ごしていたら、窓の外には海も山も見えるし、真鶴の自然が心地よくなって。父は、この景色が好きだったんだなってわかったんです。天国で、『おまえ、気づくのが遅いよ』って言っているかもしれませんね」 たとえ遺言書があっても、親と子供の思いが一致しなければ、トラブルは起こってしまう。一方で、梅宮家のように、何も残されていなくても自然と気持ちが寄り添う場合もある。結局のところ、親子の絆がものを言うのかもしれない。※女性セブン2020年7月9日号
2020.06.29 07:00
マネーポストWEB
隅田川花火大会の中止、独自路線テレ東が名を挙げるチャンスか
隅田川花火大会の中止、独自路線テレ東が名を挙げるチャンスか
 7月11日に予定されていた東京の夏の風物詩、隅田川花火大会の中止が決まった。東京五輪のために日程をずらしたが、新型コロナウイルス感染拡大で開催断念に追い込まれた。 同大会の協賛企業であり、毎年独占生中継するのがテレビ東京。テレビ各局が収録やロケの休止で編成に苦しむなか、同局は定番の人気コンテンツをまたひとつ失い、その打撃は大きい。 だが、「これはむしろテレ東が名を上げるチャンス」とするのはコラムニストの石原壮一郎氏だ。「他の局がやらない独自路線がテレ東の真骨頂。どんな独特な穴埋めになるのか、今から楽しみです。毎年、総合司会を務める高橋英樹さんが局の屋上でひとり線香花火をやっている絵も面白いかもしれないし、今夏は他の花火大会も中止になる可能性があるのだから、過去の隅田川花火の“名場面集”もいいんじゃないですか。すでに各局が過去のドラマなどで枠を埋めていますが、花火大会の“再放送”となれば話題になるでしょう」 2013年の大会当日、ゲリラ豪雨に襲われるなか、フリーになったばかりの高橋真麻が浴衣姿でずぶ濡れになりながら実況するなど、たしかに“名場面”は色々とありそう。「過去42回の放送のゲスト出演者も多彩なメンバー。今年の“主役”の一人である小池百合子都知事や、近年亡くなった樹木希林さん、津川雅彦さん、梅宮辰夫さんらの出演シーンを振り返るなど、いろんな見せ方ができるはず」(制作会社関係者) テレ東は「中継に代わる番組は未定です」(広報局)と答えるのみだが、どんな“花火”を打ち上げるか注目だ。※週刊ポスト2020年5月1日号
2020.04.22 07:00
週刊ポスト
先日亡くなった宍戸錠さんは数々の名台詞を残した(共同通信社)
宍戸錠さん、梅宮辰夫さんらが演じた「勝負師」の名台詞
 プロ野球の監督や政治家、将棋棋士や雀士など、勝負師たちは忘れられない名言を遺す。映画を見ていると、それはフィクションだと承知していても、生きた言葉としていつまでも心にとどまる言葉がある。惜しまれつつこの世を去った名優たちが演じた「勝負師」の名セリフを、映画評論家の秋本鉄次氏が紹介する。■牛のクソにも段々があるんでぇ宍戸錠『仁義なき戦い 完結篇』(1974年公開)「宍戸錠演じるヤクザの大友が対立組織の組長(松方弘樹)に啖呵を切った台詞。世間から見たら牛のクソのような存在でも段々(序列や階級)が存在するという男を感じる台詞ですね」(秋本氏)■お前もあと2、3分で死ぬ。死ぬ前に好きな歌でも歌え萩原健一『いつかギラギラする日』(1992年公開)「現金強奪後、仲間割れを起こす萩原健一演じるギャングのボスの神崎と角町(木村一八)がナイフによる一騎打ち。神崎が角町の喉を突き刺し浴びせた後の手向けとも取れる言葉」(秋本氏)■俺が最前線を見せてやる! 参謀ども、表に出ろ!梅宮辰夫『大日本帝国』(1982年公開)「サイパン島で組織的な抵抗力を失なって民間人と共にジャングルを彷徨う日本軍の敗残将校がヤケになって酒を酌み交わす中、兵曹の梅宮辰夫がゲキを飛ばして仲間たちと反逆してみせた」(秋本氏)※週刊ポスト2020年2月28日・3月6日号
2020.02.26 07:00
週刊ポスト
2019年も多くの芸人が亡くなった(イラスト/佐野文二郎)
高田文夫氏、さんまの師匠ほか今年亡くなった芸人を追悼
 放送作家、タレント、演芸評論家で立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、2019年に“あちら”のお座敷に呼ばれた「笑い」に生きた人々についてお送りする。 * * * 今年もお世話になりました。お世話になり過ぎたのかもしれません。年の瀬になって『面白い人のことばっかり!』『画文集 芸人とコメディアンと』、たて続けに2冊出版し、ここで告知までさせていただきすいません。気がつけば今年は文庫本も入れると5冊、本を出したことになります。働く71歳。来年は「桜を見る会」も行けそうにないので己の働き方改革を考えなければと思います。 こうして年末の号ともなるとどこの雑誌もグラビア等で亡くなった人を追悼してますが、八千草薫、萩原健一、梅宮辰夫ら超メジャーな芸能の人々なら偲んでももらえるし、とりあげてももらえますが、芸能の片隅で“笑い”に生きた人々は思い出してももらえません。たくさん笑わせた人はたくさん悲しいし、少し笑わせてくれた人は少しやっぱり悲しいのです。 2019年あちらからお座敷がかかった笑芸の人達、まずは関西篇。2月には吉本新喜劇で大活躍した山田スミ子。そして天下の明石家さんまの師匠としても知られる笑福亭松之助。この師匠自体が芸人として自由な生き方をしてきた。 5月には吉本新喜劇の若き座長としてひっぱった木村進。6月には「すまんのォ」で知られる“横山たかし・ひろし”のたかし。お正月の演芸番組には欠かせない人だった。その他の大阪の演芸界は“闇営業”一色で、すべて闇の中。あとは税金払えっていう話だ。 関東篇となりますと3月、地球の上に朝が来る~~ッの川田晴久(美空ひばりの師匠としても高名)の流れを汲む、灘康次とモダンカンカンのリーダー(親方)灘康次。談志の呑み会などでよく会った。4月、お笑い界の中でも、芸能界の中でも超メジャー、我らが日大芸術学部の大先輩「グラッチェ」ケーシー高峰。これほどどこへ行ってもどんな所でも大きな笑いを確実にとれる漫談家はいなかった。医学ドラマ『ベン・ケーシー』からその名を勝手にもらった。4月の同じ日、新聞の訃報欄に載ったのが「ナンセンス」の原田健二。浅草のポンコツ芸人としてナイツからいつもいじられていた。それが嬉しそうだった。 8月には「ひでや・やすこ」として高座にあがっていた新山ひでや。最後はかつらをカミングアウトしてこれもナイツから絶妙のつっこみをもらって満足そうだった。 覚えておいて欲しい人が、戦後新宿の「ムーラン・ルージュ」で憧れのスターだった明日待子。100歳近かったと思う。野末陳平が早大時代通いつめたと言う。■イラスト/佐野文二郎※週刊ポスト2020年1月3・10日号
2019.12.23 16:00
週刊ポスト
梅宮辰夫さん
梅宮辰夫さん「6度のがん」もたらした妻と娘との幸せな時間
 都心にある江戸時代から続く老舗そば店。夜7時ともなれば、国内外の観光客も集まるスポットだ。その中で、手早く食事を済ます母子がいた。梅宮アンナ(47才)と母・クラウディアさん(75才)だ。「お二人は、テーブル席で神妙な面持ちで食事をしていました。梅宮さんが亡くなった翌日だったので、無理もありませんよね」(居合わせた客) 2019年12月12日、慢性腎不全のために梅宮辰夫さんが81才で逝去した。6度のがんと闘った壮絶な人生だった。 梅宮さんは日本大学法学部在学中の20才の時に東映ニューフェースに合格し、『不良番長』『仁義なき戦い』シリーズなどに出演。戦後の映画界を牽引する俳優の1人だった。「20代半ばから銀座を飲み歩き、女性にもモテて“夜の帝王”と呼ばれていた。当時は石原裕次郎さんら他社の俳優さんの豪快な遊びに負けないよう、東映の看板を背負う気持ちで豪快に遊んでいました」(梅宮さんの知人) 梅宮さんに大きな転機が訪れたのは36才の時。最悪のがん告知だった。「膀胱がんが肺に転移し、“最悪の場合、余命2か月”と言われたそう。当時、アンナさんはまだ2才で、“こんなに早く死ぬなら、結婚なんてするんじゃなかった”“子供なんてつくらなければよかった”とまで考えていました」(前出・梅宮さんの知人) 3か月の闘病生活を経て、病魔に打ち克った。しかし、梅宮さんはがんの再発におびえ、先は長くないと感じるようになり、生活を一変することにした。芸能ジャーナリストの二田一比古さんは言う。「がんが判明してから、銀座を飲み歩くことはなくなりました。貴重な今後の人生と向き合う中で、愛する妻や子供と一緒に生きよう、1分1秒も無駄なく過ごしたいと考えたのです」 京都で映画の撮影があった時は、どんなに疲れていても最終の新幹線で東京の自宅に帰ってアンナの寝顔を見た。そして、翌朝始発で再び京都の撮影所に向かう。 アンナが学校に持っていく弁当も毎日作った。家でも、毎日手料理を振る舞った。それは、自分が先に死んだとしても、妻や娘の記憶に自分の味を残しておきたかったからだという。 その後もがんとの闘いは続いた。胃がん、十二指腸乳頭部がん、前立腺がん、尿管がん…計6つのがんを患い、つらい手術や闘病の日々を送った。それでも、口をついて出るのは自分のことではなく、家族を思う言葉だった。「アンナさんが羽賀研二被告(58才)と交際している時に梅宮さんに直撃取材しても、“書いていないこともあるんだろ? 教えてくれよ”と最後はいつも質問攻めでした。それだけ、アンナさんとご家族が心配だったということです」(二田さん) 6度のがんを克服できた原動力は、間違いなく、家族への愛だった。※女性セブン2020年1月2・9日号
2019.12.20 16:00
女性セブン
小林旭には豪快な伝説が多い(時事通信フォト)
反社と芸能人 小林旭、梅宮辰夫、月亭可朝の「交際伝説」
 吉本芸人らが反社会勢力への“闇営業”で金をもらっていたとして謹慎処分を受け、テレビ界に激震が走っている。黒い交際は大問題だが、この期に及んで「間接的」だの「知らなかった」だの、なんと往生際の悪いことか。時代が異なると言ってしまえばそれまでだが、昔のスターは違った。プロインタビュアーの吉田豪氏が、自ら見聞した大物芸能人と「反社の人々」の交際伝説を振り返る。 * * * 今回の吉本芸人たちを見ていると、テレビに出られなくなるのが怖くて嘘をつかざるを得なかったんだろうなぁと思います。反社と知っていたかどうかはともかく、そこからお金を貰っているのがバレたらテレビ的には絶対アウトだし、大きな仕事があるから認めるわけにはいかなかったんでしょう。 吉本興業ではちょくちょくヤクザがらみの問題が起きている印象がありますが、1970年代に楽屋での賭け事を禁止したあたりから反社との付き合いに厳しくしてきたんです。なにせそれまでは大っぴらに楽屋で「おいちょかぶ」(花札のゲーム)とかが行なわれていて、ヤクザが負け金を取り立てに来るのが当たり前だったみたいですから。決定打になったのが、1979年に吉本芸人たちの野球賭博が問題になった時でした。 その騒動で吉本を辞めたときのことを、昨年亡くなった月亭可朝さんがインタビューでこんなふうに言ってました。「『なぜいかんのか?』と聞いたんですよ。ほんだら『暴力団の資金源になるからに決まっとるやないか』って言うから、『私はいま勝ってますんで、暴力団の資金を吸い上げてるんですから、そんなら表彰もんでっか?』言うたら『アホなこと言うな!』って怒りよったね」(吉田豪著『新人間コク宝』より) 全然反省してないんですよ(笑)。それが原因でテレビから干されるんですけど、この頃は吉本の対応もかなりいい加減で、局から弁償を求められるのを恐れて吉本から「お前、ウチの専属じゃなかったようにしといてくれ」と可朝さんに頼んだそうです。 でも、可朝さんは落語家として高座に上がれる場があったから、別に吉本辞めてテレビに出られなくなってもやっていけたんです。 それは昭和の映画スターたちも一緒。あの人たちはいまのタレントと違ってテレビに依存してないから、テレビ的なコンプライアンスを気にする必要もない。だからこっちが聞くと平気でヤクザとの付き合いを認めちゃうんです。 小林旭さんは2008年に後藤組の後藤忠政組長のゴルフコンペに参加したことが発覚して問題になったんですが、その数年後にインタビューした記事が、そもそも「オレがヤクザとゴルフしたからって誰が困るんだよ」ってタイトルからしてどうかしている(笑)。「親分がゴルフ主催して、そこに俺も一緒にいて、和気あいあいと仲よくゴルフして、ケラケラ笑って遊んでただけで、何もそのゴルフ場で刃傷沙汰が起きたわけでもなきゃ、なんでもないよ。何がいけないの?」(『SPA!』2011年12月6日号) 謝罪する気なんてさらさらないし、騒動についても「ダメージなんか受けるもんか、そんなもん!」って言い切っちゃってる。 それどころか、柳川組の柳川次郎組長から時計もらったとか、山口組の田岡一雄組長と「叔父、甥の契り」をして山口組のカフスをもらって周りに見せびらかしたとか。全く隠す気がないんです。 梅宮辰夫さんの場合は、「最近のやくざ映画の俳優は全然ダメだ。あいつら本職とつながりがないから」ってダメ出ししてました。「だいたい『仁義なき戦い』を撮ってる頃、撮影中はいっつもヤクザでいっぱいだったから。で、実録モノってやったでしょ。だから配役にしても全部、その親戚縁者がいっぱい来て『俺のオヤジをカッコよくやってくれよ』とかさ、いろいろ注文されたりしてね。まあ、でもこっちも役者だから、やっぱりリアルに演じたいからさ」(『新人間コク宝』より) それで山本健一組長(山口組若頭)のマネをして眉毛を剃り落として、家に帰ると娘のアンナさんが泣き出したという(笑)。(談)※週刊ポスト2019年7月12日号
2019.07.01 16:00
週刊ポスト
梅宮辰夫「芸能界に未練なし」 3億円自宅売却と引退の決意
梅宮辰夫「芸能界に未練なし」 3億円自宅売却と引退の決意
 菅原文太、松方弘樹、渡瀬恒彦と昭和の名優たちがこの数年の間に相次いで世を去るなか、彼ら“銀幕スター”と様々な作品で共演してきた梅宮辰夫(80)も映画やテレビの舞台から距離を置き始めている。『不良番長』や『仁義なき戦い』シリーズを筆頭に、戦後の日本映画を牽引してきた梅宮だが、2011年の『明日泣く』を最後にスクリーンから離れ、今年5月のバラエティ番組以来、テレビ出演もない。近況について、芸能関係者が語る。「東京から完全に撤退してしまったんです。3億円ともいわれた都内の自宅を5月に売却し、奧さんのクラウディアさんと一緒に、神奈川県内の海沿いの温泉地にある別荘に生活拠点を移しています。たまに娘のアンナさんも来るみたいですね。30年以上住んだ自宅を手放すことについては、“無駄に大きな荷物を持っていても仕方ない”と話していました。腰痛が悪化して長い距離を歩くのは辛く、最近は歩行補助器に頼ることも多いと聞きました」 2016年7月に十二指腸がんを患い、患部に加え胆嚢と膵臓、胃の一部を切除したことを告白。12時間に及ぶ手術で、術後は体重が10キロ以上も落ちたというが、それ以降は残りの人生を見つめ直す時間になったという。親交のある映画関係者が語る。「戦友ともいえる俳優仲間が次々に亡くなっていくなかで、最近の梅宮さんには“引退”の二文字が頭にちらついていたようです。“芸能界に未練はない”と話していました。自宅を手放したのと芸能活動がなくなったのが同じタイミングだったのも気になります」 親友の松方が亡くなった時をはじめ昭和の名優が亡くなるたびに、梅宮はコメントを求められてきたが、近年は「俺自身がもう長くない」と口にしていた。〈僕が死んだ時に誰が取材を受けるのかと考えるとね。同時代を生きて、僕について語れる人はもういない。(中略)これだけ周りが次々に逝ってしまうと、むしろ僕だけが長生きしすぎているんじゃないかと思う〉(『新潮45』2017年6月号) 梅宮の近況について、所属事務所はこう話した。「東京の自宅売却は事実です。もともと海の見える場所で過ごしたいという希望を持っていましたからね。仕事や引退については本人が決めることですが、この年になって、無理してテレビに出演する必要もないでしょう。いまは夫婦で静かに暮らしています」 銀幕やテレビで“辰兄”の姿は、もう見られないのか──。※週刊ポスト2018年10月12・19日号
2018.10.01 16:00
週刊ポスト
佐藤蛾次郎「早く帰りたい」と米女優が囁いた京王プラザの夜
佐藤蛾次郎「早く帰りたい」と米女優が囁いた京王プラザの夜
 1970年代に来日し、深夜番組『11PM』などに出演し有名になったアメリカ出身のセクシー女優、シャロン・ケリー。梅宮辰夫と共演した東映映画『色情トルコ日記』(1974年)は伝説の作品となっているが、同作に出演していた俳優・佐藤蛾次郎が、シャロン・ケリーとの“刺激的”な一夜の出来事について振り返る。 * * * 京王プラザホテルでの夜のことは今でもよく覚えているよ。乱れる金髪に、弾けるほどの肉体、そして、漏れる吐息。シャロンの姿は今でも目に焼き付いている。あの体は一生忘れられないよ……なんて言いたかったな(笑い)。 でも、そのチャンスはあったんだよ。『色情トルコ日記』では、俺がシャロン・ケリーのボディガードのような役どころだったこともあって、よく一緒にいたんだ。 ある日、新宿の伊勢丹前での撮影が終わると「ガジさん、シャロンを送ってあげてよ」とスタッフが言うんだ。用意されたタクシーに2人で乗ろうとすると、シャロンが腕を組んできて、車内でもその状態のまま、2人で宿泊先の京王プラザホテルで降りたんだよね。 次の日、撮影所に行くとスタッフが拍手して俺を出迎えるんだ。「なんかあったの?」と驚くと、「蛾次郎さん、やりますね~」とニヤニヤしている。よくよく聞いてみると、タクシーの運転手が「昨日、蛾次郎さんとシャロンが2人でホテルに消えて行きました」と喋っていたらしいんだ。 たしかに2人でホテルに行ったけど、喫茶店でお茶をしていただけなんだ。俺はパツキンの外国人と付き合ったこともあったから、少しは英語を話せた。シャロンは寂しそうに「早く帰りたい」と言っていた。マネージャーもいないし、通訳も日本人。異国に1人でやって来たから不安だったんだよ。周りは畏れ多くて話しかけられず、誰も相手にしていなかったからね。 喫茶店で2時間くらい一緒にいたかな。周りの客がチラチラ見るんだよ。“蛾次郎が金髪の女と……”という感じでね。今思えば、「早く帰りたい」という言葉は、“ホテルの部屋に……”という意味だったのかもしれねえな。 俺もどこかで躊躇していた。やっぱり、共演者には手を出せねえよ。でも、みんなはシャロンと寝たと思っている。ちくしょう、そんな噂になるんだったら、しとけばよかった(笑い)。●さとう・がじろう/1944年生まれ、大阪府出身。1953年に大阪朝日放送児童劇団に入団。映画『男はつらいよ』(シリーズ全作)ほか、数多くの作品に出演した名脇役。現在銀座で「Pabu 蛾次ママ」を経営。※週刊ポスト2018年3月23・30日号
2018.03.24 16:00
週刊ポスト

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