◆箸の使い方が汚い人とは一緒に食事したくない
コートが必要な寒さになった頃、お気に入りのあんこう鍋の店があるからと、幸也さんに誘われた。
「あんこう鍋にはとても魅かれたものの、じゃかっかん、イヤな予感がしました。私、人と鍋をつつくの、ダメなんですよ。菜箸(さいばし)で取り分ければ大丈夫なんだけど、鍋ってだんだん直箸で、ってなるじゃないですか。そういうことをいちいち気にする自分がめんどくさい人間だっていうのはわかってるので、あまり表立って言わないんですが……、まあ、彼なので、いざとなれば言えばいいだろうと思って、食欲を優先させました」
どうやら多恵子さん、自分の部屋は汚くても気にならないし、若い頃にバックパッカーをしていた経験から、風呂に2、3日入らなくても問題ないが、他人のこととなると「潔癖症」になるようだ。そしてそれは、「食」において、より顕著になるという。鍋だけでなく、みなで取り分ける中華などの大皿料理もストレスだし、ペットボトルの回し飲みは論外、箸の使い方が汚い人とは一緒に食事したくない、という気持ちが強い。
「だから一人旅が好き、というのもあるのかもしれません。家族でも、一緒に鍋をつつくのは気になるんです。とはいえ、人と食事をするとしても、コース料理にするとか、大皿のときは自分の分を先に取らせてもらうとか、方法はいろいろあるので、そんなに困ったことはなかったんですが……」
しかし、よりによって幸也さんとの食事で事件は起きた。
幸也さんはお酒が好きで、これまでも、多恵子さんが「飲みすぎだな」と思うことはあった。その日は土曜日で翌日の心配もない。最初からハイペースで飲んでいた幸也さんは、気付いたら、鍋に自分の箸を入れていた。
「ちょっと、やめて!!」
多恵子さんは思わず大きな声を出した。幸也さんは、「へ? 何?」という顔をしている。そこで初めて多恵子さんは、菜箸で取り分けてほしい、直箸は耐えられないんだということを伝えた。