ひとつには1996年に開催予定だった「東京都市博覧会」が中止に追い込まれたことによる、東京都の挫折感があるだろう。また、その頃から顕著になった日本経済の停滞感が「もはや東京にフロンティアは要らない」という空気を醸成したのではないか。
しかし、実のところ東京という都市は膨張を続けていた。人口は流入し続けたのだ。
折も折、1997年に建築基準法の容積率基準が緩和された。20階以上のタワーマンションがより建設しやすくなったのだ。そのため、有力なマンションデベロッパーたちは、きっと東京周辺を見渡したに違いない。都心に直線距離が近くて、まだまだ開発用地が豊富に供給されるエリア──それが江東区の湾岸エリアだった。
やはり、最初に開発が進んだのは、地下鉄有楽町線が乗り入れていた豊洲。「アーバンドック ららぽーと豊洲」が開業したのは2006年だった。その周辺は当初、三井不動産が中心となって開発が進み、タワマンがどんどん建ち始めた。今では首都圏有数のタワマン林立エリアとなっている。
一方、有明はやや取り残された。理由は交通利便性が悪いからだ。ゆりかもめは1995年、りんかい線は1996年に開通している。しかし、人々に「便利になった」というイメージは与えなかった。
私は今でも有明を訪れる度に腹立たしい思いをする。殺風景な街並みの中を何百メートルも歩かされるからだ。それは車で行った場合も同じ。駐車場から目的の施設までの距離が、総じて遠い。有明エリアは都市計画の典型的な失敗作だと感じた。「この街に未来はない」と、私は考えていた。
ところが、有明にも明るい未来が見えそうな出来事が続いた。