めまぐるしい毎日だったが、近所の人々が政子から家族の愚痴を聞いたことは一度もなかったという。

「つらそうな素振りはいっさい見せないのよ。“おじいちゃん、おばあちゃんの介護が大変”なんてことは、誰にもおっしゃっていませんでした」(近隣住民)

 だが、事件の1年ほど前に異変が起きる。岸本家の親族は声を潜めてこう明かす。

「政子さんは、この1年ぐらい、うつ病だったんです」

 政子は、いわゆる「介護うつ」を発症していたのだ。

 介護うつは責任感が強く、まじめで几帳面な人がなりやすいとされている。発症すると、睡眠障害や食欲不振、疲労感や倦怠感を覚え、思考障害から「殺人」や「自殺」を企てることもあるという。

 警察庁発表の統計によれば、2014年から2018年までの5年間に「介護・看病疲れ」を動機として検挙された殺人は193件、自殺関与は7件。「介護・看病疲れ」を動機とした自殺者数は、厚生労働省の自殺統計で2014年から2018年の間に1176人──。

 政子の異変は家族も気づいていたのだろう。実は事件の2、3日前、政子の家ではひっそりと「家族会議」が開かれていたという。夫の太喜雄は4人兄弟の長男。3人の弟たちは、それぞれ家庭を持ち、近くに住んでいる。その4兄弟が集まって話し合ったのは、親の面倒に関することだった。政子と親交が深かった村人はこう証言する。

「兄弟やらが集まって、どこか、芳雄さんと志のぶさんの面倒を見てくれるところがないか、入れてくれる施設がないかと話し合ったらしいんです。だけど、ふたりとも要介護度が足りなくて、施設に入れなかったのよ。その時に政子さんが正直に“疲れた”って言えればよかったけど、私ひとりで面倒を見る、と言ってしまったのか…」

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