ダルビッシュは「ネットはフラットな場である」という2000年代中盤の「ウェブ2.0」の概念をよく分かっている。同様の発言機会を与えられているのだから著名だろうが匿名だろうがフォロワー数が多かろうが少なかろうが発言は等価、ということだ。
著名人の苛立ちの一つの理由は、自分達はサンドバッグのごとくボコボコにされつつも、無名人を晒した場合は「一般人を晒して大人げない」や「著名人ならばもっと節度ある態度を取るべき。聖人君子でいてください!」のように苦言を呈されるからだ。
バカな二重基準だ。だからこそ私はダルビッシュと志らくには「もっと言ってやれ!」と思う。「オレのこと嫌いなんだったら別にどうでもいいが、てめぇの身元明かし、名誉棄損の裁判起こす程度のカネはあるからなオラ」的な態度を今後著名人が取り、訴訟乱発事態になったらそれはそれで健全だ。著名ではないからといって守られると考える「無名特権」はネットでは不要。お前らも発言に責任を持てということだ。
その一方、不倫や闇営業により叩かれた宮迫博之は、新たな活動の場としてYouTubeチャンネルを開設。番組では、アンチが「司会ばかりして面白くない」と文句を言ってくることについて、自分は「ひな壇やコントを経験して勝ち上がり司会者ポジションを取った」的なことを語り、理解を求めた。ダサ過ぎる。誰もお前の努力なんて知らん。今の評価で勝負しろよ。
●なかがわ・じゅんいちろう/1973年生まれ。ネットで発生する諍いや珍事件をウオッチしてレポートするのが仕事。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』など
※週刊ポスト2020年2月21日号