「古田氏ははっきりとモノを言う上に、理路整然としている。2004年の球界再編時、古田氏がプロ野球選手会会長じゃなかったら、経営陣に言いくるめられて、1リーグ制になっていた可能性も十分ありえます。
逆に言えば、経営陣とやり合えて勝てるくらいの度胸と頭脳がある。そのため、フロント側からすれば、煙たい存在と捉えられているのかもしれない。
ヤクルト監督時代には、岩村明憲がメジャーリーグに移籍した穴を埋めるため、オリックスを自由契約になった中村紀洋の獲得を進言しましたが、実現せず、思うような補強ができなかった。退団に至った理由には、そんなフロントとの軋轢もあったと言われています」
古田氏は現場から退いてから、今年で13年目を迎える。選手兼任監督の先輩である野村克也さんは1977年に南海を後にし、1980年に西武で引退した後、評論家生活を経て、1990年にヤクルトの監督に就任。名将と称えられるノムさんも、9年間もユニフォームを着ていなかった時期がある。
「最近は評論家からいきなり監督になるよりも、コーチや2軍監督を経て1軍監督に昇格するケースが主流です。でも、野村さんは自身の経験から『コーチになるよりも外から野球を見たほうが勉強になる。ヤクルト監督で輝かしい成績を残したのは、評論家時代の蓄積が大きかった』と言っていた。古田氏も現場から退いてだいぶ経ちましたけど、能力が落ちたわけではない。現在の古田氏の年齢(54)の時、野村氏はヤクルト監督に就任しています。まだまだ可能性はありますよ」
2年前、テレビ番組の対談で、野村さんから「声を大にして言いたいのはね、監督やれ! もったいないよ。(今の野球界で)こいつ監督になったら、良い監督になるだろうなというのが唯一これ(古田)だけ。野球選手のなかでは珍しく頭良いからね。早くユニフォーム着ろ」と激励された古田氏。2年間の選手兼任監督は不完全燃焼に終わった感が否めない。球界随一の頭脳派がもう一度、ユニフォームを着る機会はあるか。