この年、遠藤は完投18、投球回276.2もリーグ最多だった。昨年、セ・リーグの最多完投は大瀬良大地(広島)の6、最多投球回数は大野雄大(中日)の177回3分の2であり、隔世の感がある。投手の分業制が確立されている現代と比べれば差が出るのは当然としても、1984年の各球団のエースと比べても突出している。広島・北別府学203.2回、山根和夫222回、中日・小松辰雄186回、郭源治216回、巨人・江川卓186回、西本聖224.2回と遠藤には遠く及ばない。
「リリーフの1試合を含め、38試合で34回も責任投手になっている。いかに関根監督が遠藤と“心中”したかわかる数字です。5月27日の阪神戦では2回持たず7失点でKOされましたが、中2日で後楽園の巨人戦に先発し、3安打完封したこともあった」
9月中旬の時点で、遠藤は11勝16敗。そこから1か月で6勝(1敗)を挙げ、この年優勝した広島の山根和男の16勝を抜いて、単独最多勝になっている。
「試合間隔の空いた10月は9試合中、4試合で遠藤が勝利投手に。10月5日には、1点勝ち越した直後の7回から3イニングを投げさせ、勝ち星を付けさせました。関根監督はなんとしても遠藤にタイトルを取らせたかったのでしょう」
遠藤は関根監督就任の1982年から6年連続13勝以上を挙げ、大洋ホエールズ最終年の1992年限りで引退。通算134勝は、球団史上4位の記録だ。自身の努力に加え、一度見込んだら最後まで信じ抜いた関根監督がいたからこそ、遠藤は歴史に名を刻めたのだろう。