「相手が絶句して黙った=自分がやり込めた」「その種の電話がなくなった=自分の考えが定着しつつある」という見事に手前味噌な解釈ができるのも、さすが「王様」。通常の神経や客観性を持ち合わせていたら、とてもそんなふうには思えません。感染対策の話題で科学的な裏付けを何も示さないまま、単に精神論を語って悦に入れるのもさすがです。
そもそも「民度」とは、国民や住民の生活水準や文化水準の程度のこと。他国の偉い人に対して「国民の民度のレベル」を何の躊躇もなく自慢できるのは、「王様」の「王様」たる所以です。「政界の重鎮」である自分が迂闊なことを言うことで、その国の民度を下げる心配はないのかという発想も、どうやら持ち合わせていません。
しかも、このとき麻生氏に質問したのは、自分の派閥に属する若手議員でした。「自由という価値を守り続けてきた。高い評価を受けられるべきでは」と、政府の新型コロナ対策を露骨に持ち上げるお手盛り質問でしたが、「王様」はそんな狙いなんて知ったこっちゃありません。聞かれてもいないのに気持ちよく自説を披露し始めたと思ったら、これです。
「王様」になるというのは、しかも、自分だけが周囲の視線に気づかない「裸の王様」になるというのは、なんて怖いことなんでしょうか。麻生氏の「民度」発言は、そのことを如実に教えてくれます。そして、言葉によるコミュニケーションは、知らないうちに恥をかいてしまう恐ろしい一面があることを教えてくれます。
多くの人は、「裸の王様」にはなろうと思ってもなれません。しかし、コミュニケーションで恥をかく可能性は大いにあります。それは嫌だというあなたに、そして麻生氏にも強く勧めたいのが、5月末に扶桑社から発売された『恥をかかない コミュマスター養成ドリル』という本。Q&A形式で、会話とメールとSNSにおけるコミュニケーションの肝を楽しく伝授してくれます。著者は……あっ、私でした。すいません。
それはさておき、コミュニケーション力は「国民の民度のレベル」に大きな影響を与える要素のひとつ。ひとりひとりが地道に磨きをかけていきましょう。「王様」の恥ずかしい自慢に対する罪滅ぼしの意味を込めたり、「王様」を反面教師にしたりしつつ。