生まれも育ちも東京の左半分だが、若き日、クダを巻き酔っ払った想い出の路地、横丁の灯が消えてゆきピンチだ。20代30代の頃、事務所が青山にあったものだから、夜遅くに呑みに行く貧乏作家は決まって渋谷の「のんべい横丁」。狭い店内、まさに「三密」を中心とした飲食関係。渋谷駅ガード横、戦後の闇市がルーツだからほとんど私と同世代。北島三郎御大が18歳の時北海道から上京し、ここ「のんべい横丁」を中心に渋谷の“流し”からその芸能生活をスタートさせた。すぐに船村徹先生とひき合わせてもらい『なみだ船』が最初のヒット。歌だけでは食べられないのでギター漫才「ゲルピンちん太ぽん太」のぽん太として漫才ステージも経験。これはまったくうけなかったらしい。
新宿にいる時、私が呑みつぶれてたのが「ゴールデン街」。元々は戦後の青線地帯。学生時代、最初は大学の先生につれていかれ、以来あの店この店。近頃は吉本が近くに来たので「なんやねん」なんて言葉が飛び交うし、外国人も来るしで足は遠のいたが、ゴールデン街を守る役者の外波山文明らがガンバッているので、東京っ子としては応援したい。
この街にはかつて“流し”のマレンコフ(ソ連の政治家に似ていた)がいて、初めてイラストの佐野クンの作品を見たのがマレンコフの姿だった。人選の妙である。
■イラスト/佐野文二郎
※週刊ポスト2020年6月26日号