彼女は氷河期世代の女性として紆余曲折を経て今に至る。あの時代、国公立大学にストレートは優秀だっただろうし、ネット中傷さえなければ普通の女性だろう。しかしスマホを持っている限りSNSから離れることはできず、普通ではなくなる。スマホにせよ、ガラケーにせよSNSは出来るし通信手段を持たないことは社会人として不可能だ。ソシャゲ中毒もそうだが、アル中やギャンブルといった旧来の依存症とは別のベクトルでやっかいだ。
あとはチューミンさんが教員免許取得のために履修しようとしている通信制大学についての話となった。私は通信制大学を都合3校卒業、修了しているので相談に乗った。国公立大学卒の優秀なチューミンさんだが、教免目当ての場合は大学のネームバリューや偏差値は気にしないことや、おすすめの大学も紹介した。これで彼女自身の道だけを歩んでくれるといいのだが。もちろん医師に相談することもさりげなく勧めたが、気乗りはしないようだ。確かに現状、SNSのネット中傷がやめられないという相談を専門的に見てくれる病院が少ないことは確かだろう。
◆ネット中傷を煽り、ときには自作自演する業者の存在
これは彼女との会話の中でも出たが、ネット中傷を義憤や批判、出来心や遊び半分といった認識ではなく「依存症」として見なすことも検討してはどうか。買い物依存やゲーム依存と同様に、「ネット中傷依存」とも言うべき病理として捉えてもおかしくないほどに、SNSにおける過度の誹謗中傷者は病的だ。彼らは深く考えないまま誹謗中傷をしているのではなく、深く考えてネット中傷を繰り返している。そしてやめられない。やめたいのにやめられないので繰り返す。ある芸能人を執拗に叩いていた男は、警察の取り調べから解放されてすぐにまた中傷を書き込んでいる。ストーカーとも似ているが少し違うような気がする。ことさらに何でも依存症としてしまうのは危険だし、私のような素人がジャッジできる代物でもないが、ネット中傷を依存症として精神医学、心療内科の分野からアプローチしてみることは無駄ではないように思う。
また仮に依存症とするならネットリテラシーのみならず、さらに踏み込んだ法的規制もやむなしと考える。「言論の自由に対する政府介入」と難色を示す向きもあるが、あの女子プロレスラーの女の子に向けられた罵詈雑言を言論とは呼ばないし、許される自由でもないだろう。私の旧知のグラビアモデルや女性声優も、かつて某匿名掲示板で過酷な叩きに遭った。ブログで言い返すグラビアアイドル、泣き寝入りの女性声優、前者は掲示板の書き込みのせいで当時通っていた学校にまで嫌がらせが来て、女性声優はブスだキモいだのと書き込まれ続けて共に病んだ。すでに両者とも引退したが、私は今以上に野放しで警察どころか弁護士、いや社会すら相手にしてくれなかった時代を知っている。
それでもあの時代、あの悪名高い某匿名掲示板は「見なければいい」「相手にしなければいい」が通用した。それとて許せるものではないが、妬みや嫉みといった人間の闇そのものは仕方のない話で、社会的地位など皆無のイリーガルな掲示板など無視すればいい。リアルの被害に及べばさすがに警察も動く。
しかしSNSは中傷を直接相手に飛ばすことができる。毎日どころか毎分、毎秒飛ばすことだってできる。アカウントを凍結されてもまた作ることが出来る。それどころか複数のアカウントの100や200は当たり前に持っていたりする。チューミンさんも多数持っているそうだ。法的な規制とともに、営利と効率を優先する運営側の姿勢も改めなければならないだろう。もはやSNSは情報インフラであり、公に対する責任を伴う立場になったことを認識すべきだ。あちこちの「あの女」に向いている銃口すべてが運営会社やスタッフに向くとも限らないことを肝に銘じるべきだ。
またネット中傷を煽って金を稼ぐ連中も跋扈している。まとめサイトやトレンドブログだ。個人でやっているところが大半だが、それなりの規模の会社組織、システム会社やWEBデザイン事務所でやっているところもある。煽るどころか工作員をはした金で雇って自作自演を繰り返しているところもある。金儲けのためにSNSのアカウントを駆使して有名人にリプを飛ばして叩き、記事にする。クラウドソーシングの仲介屋にはそんなあやしい案件がいくらでも転がっていて、普通のサラリーマンや主婦がそんな小遣い稼ぎに手を染めている。私は以前から追い続けているが、思っていた以上に闇が深く一筋縄ではいかないことを痛感している。
有名税など存在しないし、善悪はその場の空気で決まるものでもない。おそらくSNSはより強い法的な規制の下で、「それまでよりは安全だが不自由な世界」になってゆくだろう。規制といえば、自動車は1960年まで16歳でも軽自動車が運転できたし、排気量関係なくヘルメットも無しにバイクにも乗れた。道路交通法が施行された1960年以降の区分と規制の積み重ねが現在の免許制度である。これはモータリゼーションの進化と国民の運転意識(とくに交通戦争と呼ばれた時代)がもたらした結果である。インターネットもソーシャルネットワークの進化と国民のネット意識が、安全と引き換えの不自由をもたらす。この流れは止められないし、有名無名問わず、多数の被害者を救うためにはやむをえない。
ネット中傷 ―― コロナという疫病により増幅した社会不安とむき出しの悪意。中傷という行動が習慣となり、やがて人格となり、依存から抜け出せないという「運命」に至る。重ねて法規制と病理か否かのアプローチが求められるし、いまも苦しんでいるネット中傷の被害者を救うための法制度と運営側の意識改革が必要だ。それが同時にチューミンさんのようなネット中傷依存に蝕まれた人々を救うことにもなるだろう。
●ひの・ひゃくそう/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。評論「『砲車』は戦争を賛美したか 長谷川素逝と戦争俳句」で第14回日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞を受賞。2019年7月『ドキュメント しくじり世代』(第三書館)でノンフィクション作家としてデビュー。12月『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)を上梓。