自動車業界は100年に1度の異次元の競争に突入した。自動運転などCASEを筆頭とした次世代技術への対応だ。ITをフルに活用するCASE時代の自動車業界では、競争相手も競争軸も変わる。
修はトヨタをパートナーに選んだ。修と同じ創業家出身の豊田章一郎・トヨタ名誉会長とは「心が通じ合える」と語っている。トヨタとスズキは静岡県遠州地域で産まれた会社だ。地縁で結びついている。
豊田章一郎と鈴木修は経営者として共通言語を持っている。でが、豊田章男と修はどうか。「モビリティカンパニー」を標榜する章男にとって、スズキは魅力ある存在なのだろうか。旧態依然とした軽メーカーと映っているのだとすると、スズキを傘下に組み込むことはないのではないか。トヨタはダイハツという、スズキの永遠のライバルを傘下に持っている。スズキまで抱え込んだら、それこそオーバーキャパシティになるだろう。
かつて米GMがスズキの軽自動車が発売されると、新車をすぐに米国に送り、徹底的に解剖して、部品の点数と重さを一つ一つチェックしたことがある。「どうしてこれだけ安く、軽く造れるのか」を研究するためだったという。
GMがスズキに目をつけたのは「アルト」が爆発的にヒットしたからだ。当時、GMは小型車への参入を考えていた。しかし、GMにはそのノウハウがない。そこで1981年、GMはスズキと資本・業務提携した。GMと提携したスズキのアルトを東京モーターショーで見たインドのメーカーが興味を示したことがスズキのインド進出の呼び水になった。アルトがGMやインドを連れてきてくれたのだ。そのGMも世界の自動車メーカーの盟主の地位から滑り落ち、“倒産”を経験した。
100周年を迎えたスズキは、今、最大の危機を迎えている。
「スズキの最大の弱点は社長の器ではない鈴木俊宏が修の長男ということだけで社長の椅子に座っていることだ」(自動車担当のアナリスト)との指摘もある。コロナ禍の未曾有の混乱期に経営のハンドルを握り続けている俊宏は、果たしてこの難局をどう乗り切るつもりなのか。
鈴木一族の経営を終焉させ、トヨタから生きのいい社長を貰ってくること──。もしかしたら、これが修の最後のご奉公になるかもしれない。
(敬称略)