で、はぐらかし続けてきたものの、これから一つ屋根の下で暮らすんだし、私も覚悟を決めた。「私、早稲田、出てないよ」とキッパリと言ったわよ。
そしたらS子さん、何て言ったと思う?
「あそこは中退の方がカッコいいもんねぇ。タモリも五木寛之もそう。さすがだわ~」
ここまで言われて、それでも「私は農業高校卒」と言えたら…。いや、3回生まれ変わっても、ムリだ。
結局、「あははは」と力なく笑って、私の学歴詐称続行が決定。
おかげで翌日からは、針のむしろ、なんてもんじゃないわよ。私の“早稲田中退”にすっかり気をよくした大家のS子さんは、なんだかんだと言っては早稲田関連の人を連れてくるの。
「この人、昭和50年卒だって。2年先輩じゃない?」とか、「文学部だっけ。なら、この人、一緒よ」とか言って。
そのうち面倒になって、「私は中退だし、ほとんど学校には行っていないし、学生多いしね~」と、積極的に口から出まかせよ。そうしたらS子さん、今度は私の友人が遊びにきたときも顔を出して、「あら、早稲田の友達?」。
もう、勘弁してよと叫びたいような気持ちは、あれから20年以上たっても忘れられるものじゃない。
ひとたびウソをつくと、ウソがウソを生むしかなくなる苦しみ。どこから“早稲田”が飛んでくるかと思うと、気が気じゃない。いつもどこか緊張して暮らしている。
私はS子さんを避けるようになっていった。そして2年目に引っ越して、S子さんと離れた。だから想像しちゃうのよね。
もし、“詐称”が多くの人の周知の事実になって、長く続いたら…と。鉄仮面を貫くことを決めていても、硬い鎧を脱ぎ捨てたくなる夜もあるんじゃないか。
それより何より、“学歴詐称”をすると、青春を共にした人も、思い出も、みんなドブに捨てることになる。それをもったいないと思わないか。そこまでして得るものって何?
アンデルセン童話の『赤い靴』は、赤い靴をはいた少女が呪いをかけられて死ぬまで踊り続けるお話だけど、どこか、うまくいきすぎた学歴詐称に似ているような気がするんだわ。
『赤い靴』は、両足首を切断してもなお踊るというホラーのような最後を迎えるけど、学歴詐称の結末やいかに。
テレビを見ながら、連日、そんなことを思っている。
※女性セブン2020年7月9日号