ギャラも格安なのに、2ケタの視聴率。テレビ界は騒然でしたよ。その後のドラマのラインナップもすべて漫才に変更しましたが、スターも少なかったので大阪で売れ始めた島田紳助・松本竜介を使ってみると、これがまた大ウケ。フジがそこから『THE MANZAI』を始めるなど広がりを見せたことで、俗に言う「漫才ブーム」が起きた。
当たってしまえば「視聴者が求める笑い」というのは分かっていたので、新人をどんどん起用した。というのも、関西では『プロポーズ大作戦』、『探偵! ナイトスクープ』といった番組で若手芸人が高い数字を弾き出していましたが、当時は関西弁が東京では通じなかった。それが漫才ブームで受け入れられ、東京人も「アホか」と言うようになったから同じ手法で行けると自信があったんです。
最近のことはよく分からないが、漫才ブームも当時のメディアが取り上げて定着したことを考えれば、若手芸人が時流に乗るために新しいネーミングとして「第7世代」を名乗るのは正しいと思う。
コンクールが増えて有望な新人が出てくるようになったが、それでも年間に数組。中にはダウンタウンや中川家のような逸材もいる。そういった漫才師も売れてくると漫才をやらなくなり、ネタを作るのがしんどいからと司会やバラエティ番組とかに走ってしまう。それが、今の漫才の難しさですね。
●取材・文/鵜飼克郎
※週刊ポスト2020年7月3日号