「大きく取り上げられて、すごく嬉しかった反面、“巨人は初モノに弱い”というジンクスがありましたし、来年以降どうなるかはわからないという気持ちもありました」
就任1年目の1990年、野村監督は対巨人26戦のうち川崎を8度も先発させている。ケガで出遅れた川崎の初先発は4月29日、満員に膨れ上がった神宮球場での巨人戦だった。
「この時、1回持たずにノックアウトされたんです。でも、野村さんはすぐに雪辱のチャンスを与えてくれました。僕は『必ずやり返してやる』と闘志を燃やすタイプですし、目立ちたがり屋でもある。お客さんがたくさん入って、テレビ中継もある巨人戦はワクワクして投げていました。監督はそんな僕の性格を見抜き、ローテーションを崩してまで巨人戦に登板させていたのかもしれません。先発は投手コーチから伝えられますし、野村さんから直接言われたことはありませんが、僕も自然と巨人戦で投げる気になっていました」
同年5月17日の巨人戦、中4日で先発した川崎は完投勝利で無念を晴らす。7月には、400勝投手の金田正一も成し遂げられなかった球団史上初の巨人戦2試合連続完封勝利を達成し、“巨人キラー”の称号にふさわしい活躍を見せた。この年の巨人はクロマティ、篠塚利夫、吉村禎章、岡崎郁、駒田徳広など左の強打者が並んでおり、野村監督は加藤博人、バニスター、ロックフォードと左投手を11度も先発させている。一方で、チーム2位の11勝を挙げ、リーグ6位の防御率3.16を誇った右のアンダースロー・宮本賢治は1度も先発させていない。右投手の川崎はどうして、左が並ぶ巨人打線に強かったのか。
「手元で落ちるスプリットが左打者に効果的に使えるため、右打者よりも得意にしていたんです」
川崎1人で4勝を挙げても、1990年のヤクルトは巨人に7勝(19敗)しかできず、直近10年で9回目の負け越しとなった。だが、翌1991年に形勢が逆転する。シーズン初対戦の4月19日からの3連戦で先発に加藤博人、川崎憲次郎、西村龍次を送り込み、3タテを食らわせた。対巨人初戦からの3連勝は、開幕戦で金田正一が長嶋茂雄を4打席連続三振に仕留めた1958年(=4連勝)以来33年ぶり2度目の快挙だった。