「春日山親方が角界を去るきっかけを作った法廷闘争の原因は、年寄株の高額売買。カネがないと親方になれない。その悪弊が今回の不祥事の背景にある」(ベテラン記者)
部屋の閉鎖で中川親方は時津風部屋付きとなり、9人の弟子はバラバラになった。引退した力士以外の移籍先は、中川親方と同じ時津風部屋(時津風一門)だったり、伊勢ヶ濱一門の横綱・白鵬が所属する宮城野部屋など様々。モンゴル人力士の幕下・旭蒼天は義兄にあたる玉鷲のいる二所ノ関一門の片男波部屋に移籍。一門外の部屋に分散する前代未聞の処置となった。
「これ自体、部屋の構成が異常だった証左。前身の春日山部屋時代は伊勢ヶ濱一門の部屋だったから、一部の力士はそちらに戻した。たとえば、宮城野部屋に移った幕下・春光は長く白鵬の付け人をしている。それだけ背景が違う弟子の集団だったということ」(同前)
そして何より解せないのは、「当初は懲戒解雇などの厳罰という情報があったものの、フタを開けてみたら協会に残れる“大甘処分”だった」(相撲担当記者)ことだ。そこにもまた、「身内の論理」が見え隠れする。
「中川」株の奪い合い
前出の若手親方が語る。
「年寄株不足のなか、解雇となれば『中川』の名跡の奪い合いです。横綱・白鵬も帰化したものの、年寄株が手当てできていない。もともと伊勢ヶ濱一門の株だった『中川』が空けば、白鵬にちょうどよかったはず。中川親方を解雇せず協会に残したのは、白鵬に株を渡したくない意図もあったのではないかと勘ぐりたくなる。中川親方が移籍した時津風部屋付きの井筒親方(元関脇・豊ノ島)も現在は借株(※正式な所有者から借りている年寄株)で、年寄株を探しているからね」