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2020.09.12 16:00  女性セブン

中島みゆき コロナ禍の今、『ファイト!』で紅白出場あるか

荷物をのせたキャリーバッグを引いて歩く

 赤字の病院を手伝いながらも、音楽の夢を諦めきれなかった中島は、ヤマハ主催のポピュラーソングコンテストでグランプリを獲得し、デビューのきっかけをつかんだ。だがまさにデビューする直前、父が脳溢血で倒れて昏睡状態となった。

「お父さんの意識が戻らないまま、みゆきさんは音楽活動を続けました。家計も苦しく、弟が医師になる見込みも立たないなか、自分だけ上京して音楽活動をしていいのだろうかという葛藤があったはずです」(前出・音楽関係者)

 父が病に伏せるなか、中島は1975年9月に「アザミ娘のララバイ」でデビュー。その約4か月後に父は旅立った。その後は母を東京に呼び寄せ、同居しながら長年にわたって二人三脚で過ごしてきた。1977年には「わかれうた」がシングル売上ランキングで初の1位を獲得。それから「ひとり上手」「悪女」の大ヒットを経て、1983年に発売したのが「ファイト!」だ。

「あなたを理解している人はどこかにいる」

 この歌が生まれたのは、中島がパーソナリティーを務めていたラジオ番組『オールナイトニッポン』に寄せられた、17才の少女のハガキがきっかけだった。家庭の事情で高校に進学できず働いていた少女が、職場の先輩から「あの子は中卒だから」と陰口を叩かれたことを、「悔しい」と打ち明ける内容だった。同じく家庭の事情で夢を断念しそうになった中島は、少女のハガキをゆっくり読んだ後、静かに語りかけた。

「どういうところを通ってきたかよりも、そこであんたが何を吸収したかの方が大事だと思う。周りのすべての人間にさ、あなたのよさをわかってもらうなんて、そりゃ無理な話。でも、たった1人でも、あなたを理解してくれる人はどっかに1人はいるものよ」

 それは、かつての自分に向けて語った言葉でもあったのだろうか。そして中島は、自分の経験を織り交ぜて、つらい思いをしているすべての人にエールを送る歌を書き上げた。

 1995年4月、阪神・淡路大震災の傷跡が残る大阪で行われたコンサートのラスト、中島は「ファイト!」をピアノで弾き語りした。会場には、すすり泣きと拍手がこだました。

 それからしばらく、中島はこの曲を歌っていない。

「新型コロナで苦しむ人が多いいまこそ、みゆきさんが歌う『ファイト!』を聴いて勇気をもらいたいという人はいるはず。リモート紅白歌合戦とウワサされる今年なら、紅白出場のハードルは低いはずです。親しい人が去り、ラストステージが近づいているといわれるなか、彼女が『ファイト!』を歌う決断をしてくれることを、多くの人が願っています」(前出・レコード会社関係者)

 たった1人でも、あなたを理解してくれる人はどこかにいる。そんな思いから生まれた名フレーズを中島と観客が一緒に歌う日は来るだろうか。

※女性セブン2020年9月24日・10月1日号

父や母について語ることはほとんどなかった中島

大荷物!

買い物袋も持っていた

緑に目をやる場面も

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