写楽の役者絵の謎が解けた!
一方、生没年も正体もわからない謎の絵師と呼ばれているのが、東洲斎写楽。写楽の代表作といわれるのが、三代目大谷鬼次を描いた役者絵だ。
「歌舞伎役者が『江戸兵衛』という役を演じている場面なのですが、江戸兵衛がどういう役なのか、その歌舞伎の演目を知らなくてもこの絵を見るだけではっきりとわかるというのが、写楽の魅力。色数が少ないにもかかわらず、見ている人に、質素で地味な印象を与えない」
というのも、何となく光を孕んで輝いているように見える背景に、ある工夫がされていた。
「これは、雲母摺(きらずり)といいまして雲母の粉をニカワで貼り付けてある。光を当てると、ほんのりとメタリックな光を放つ。こういった技法というのは、1980年代にアメリカ・ポップアートの代表的作家(画家・版画家)であるアンディ・ウォーホルも真似をしているほど、まさに現代ポップアートの元になっていると、考えることもできる」
さらに詳細に『江戸兵衛』の全図を見てみると、「顔を大きく描く」という技法がみてとれる。これは「大首絵」といって美人画の代表絵師・喜多川歌麿が始めたもの。それを役者絵に応用したのが、写楽だという。
「『江戸兵衛』に描かれている両手は、いったい何をしている手なのか?というのは、ずっと謎だったのですが、歌舞伎演目の筋を眺めていくと、どうやらこの手は、通りかかった男が持っている金を奪うために“通せんぼ”をしている手の仕草を描いたもの。ただし、それにしては異様に小さく手が描かれている。顔に比べるとあまりにも小さいのですが、小さく描くことによって、逆にこの手のポーズが、見るものに印象的に伝わるのではないかと、写楽は考えたのだと思います」
歌川広重は「東海道五拾三次」を歩いていなかった!?
名所絵で有名な歌川広重の代表作『東海道五拾三次之内』にも新たな発見があった。広重の特徴である叙情的な風景描写が良く描かれている作品だ。
「そのうちの一枚、雪の降る夜、深い雪に覆われた銀世界を描いた『蒲原 夜之雪』の場所は、いったいどこにあるのだろうと思って調べてみたところ、現在の静岡県清水市だということがわかった。静岡県の清水市に、こんなに雪が降るのだろうかと、絵を見ていて不思議に思ったのですけれど、当時の清水市には、雪自体めったに降らなかったことがわかった。にもかかわらず、なぜこんな光景を広重が描いたのだろうかということを研究してみた結果、当時、広重は『東海道五拾三次』という名所絵を描いておりましたが、実際にはほとんど、それらの場所を歩いていない、ということがわかった。広重は、当時の観光ガイドブックを参考にして、想像の中でそれぞれの宿場を描いていったというのが真実のようでした」
どうしてわざわざ「蒲原」に雪を降らしたかというのは、現在の研究でも謎のままだが、これはあくまでも「想像の風景画」。事実よりもリアルな風景画を描くというのが、広重の才能の凄さだったのかもしれない。