和三郎がいちご栽培のかたわら、雄勝町議会の選挙に出馬して町会議員になったのは菅が中学校を卒業した頃だそうだ。
「そこから4期(16年)議員をやりましたね。次は議長という5期目の選挙のときも、楽々当選といわれていたものでした。ですが、あまりに余裕がありすぎた。『俺は応援せんでええから』と他の候補者の支持に回ってしまい、本人が落ちてしまったのです。それ以来和三郎さんは、政治の世界からすっぱり引退しました。そのときには、もう義偉君が東京に出ていました」(同前・由利)
息子の義偉が家出同然で上京したのは、そんな偉大な父親へのささやかな反抗だったのだろう。それは、貧しい農村からの出発と本人が語る政治家への原点とは、明らかに異なる。苦労人のアピールとは裏腹に、郷里や地方に対する思いを感じない。
※週刊ポスト2020年10月9日号