深作監督はとにかく挑発しまくっていた
荒井:森さん、じゃあ、一作目の最期で松方弘樹がおもちゃ屋で撃たれるシーンで気がつかなかった?
森:え、何ですか。気がつかない。
荒井:パンダのぬいぐるみがいるんだよ。
井上:パンダが日本に来たのは1972年で、映画は1950年代の話だから、ほんとうは日本ではパンダは知られてなかったはずなんですよね。
荒井:あれだけのスタッフがいてそういうミスってあるよなあという例です。
白石:いや、あれは当時、深作さんが東撮(東映東京撮影所)にいて、京都撮影所でほぼ仕事をしていなかった深作監督への京撮スタッフたちのいやがらせだったと聞きましたよ。そういうことを乗り越えていかないと京都では撮れないという。
荒井:いやあ、もう京撮、最低。
井上:荒井さんは自分も苦い思い出があるから(笑)。僕は『戦争と一人の女』(2013)で助けてもらいましたけどね。白石は深作さんにいろいろ話を聞いてみたっていうけど、どうだったの?
白石:やっぱりこの『仁義なき戦い』シリーズの面白さって、役者が、川谷拓三さんもそうだけどピラニア軍団と呼ばれる大部屋俳優の人たちが、とにかく躍動しているじゃないですか。どういう演出をしたんですかって聞くと、深作監督はとにかく挑発しまくっていたと話していましたね。美術の今村力さんとけっこう仕事をしているんですけど、深作組も何本かやってて、この頃も助手をやっていたと思うんです。今村さんには深作さんの映画つくりの癖みたいなものを聞いたんですけど、空間恐怖症というかとにかく画面を人とモノで埋めていく。見直しても、とにかく人がつねに画面にいて、しかもそれが実は生々しく撮っているようで、神経質なまでに意外に構図ができていて、というのほんとうに徹底されているなと思いますね。これは監督をやるようになって、映画のことがわかってから気づいたことですね。見れば見るほどすごい映画だなと思います。
井上:『仁義なき戦い』は笠原和夫さんのシナリオ文脈で語られることが多いじゃないですか。でも監督白石和彌が見るとそういう見方になる。ただ深作さんのフィルモグラフィを見ると、その前年に『軍旗はためく下に』(1972)と『現代やくざ・人斬り与太』を撮っていて、圧倒的に演出方法が空間恐怖症と言われるものに移行するじゃない。その前はそうでもないですよね。
白石:そう思います。それもあるし人物の動かし方が独特で、板付きのシーンもあるんですけど、人物をそのシーンの中で必ず動かしていってつねに飽きさせないように躍動させていく。それはすごく参考になりましたね。
井上:役者の芝居でも今までの義理人情の任侠映画シリーズとは5割増しぐらいに演技がオーバーじゃない。何年か前に学生に『仁義なき戦い』を見せたときに、あまりにも芝居が大げさなんで入っていけませんでしたって言ったやつがいるのね。
白石:この映画の登場人物ってみんな自分のことしか考えてないじゃないですか。だから好き放題で役者としてはやりやすいホンだと思いますよ。深作さんも役者をたきつけてたんでしょうけど。それがこういう芝居合戦みたいになっていったのは、この映画の大きな魅力なんじゃないかと思いますね。
井上:森さんは学生時代に見て、その後、見返したりはしたんですか。
森:いや、見返してはいないです。だから今回、見返したと同時に、ネットで検索していろいろ俄かに勉強して、そこでたとえば、最初に闇市で菅原文太さんが追跡するシーンがあるじゃないですか。あのあたりカメラがぶん回しでどんどん行くのかなと思ったら、カメラを隠して、カメラは吉田貞次でしたっけ。役者もカメラがどこにあるかわからなくて、あの時代にこの撮り方するってすごいなと思いました。あと白石さんが言ったけど役者がみんな躍動感があり、生き生きしているっていうのは感じますね。
荒井:当然、カメラは一台じゃないでしょ。『赤穂城断絶』(1978)のときに、萬屋錦之助さんと深作さんがやって、カメラも何台もあって、萬屋さんが「やめてくれ。役者はカメラに向かって芝居をするんだ。どのカメラを使うんだ」って抗議したらしいですよ。