千葉氏は天文部に所属していた
──麻布で良かったなと思う思い出ってありますか?
僕は小学生のころから星が大好きで、麻布では天文部に入ったんですが、中2のときに皆既日食がありました。日本では小笠原諸島まで行かないと見えないんですけど、行き帰り船に乗るからぜんぶで8日間くらい必要でした。普通に学校がある時期だったんですけどどうしても見たかったんで、担任の先生に「どうしても行きたいんです」って話したら「行ってこい!」と快く応じてくれました。このときはいい学校だなと思いましたね。
一方で、運動会実行委員会もやりました。僕自身はもろ文化系の人間でしたけど、イベント運営に興味があって、運動部系の連中に混ぜてもらいました。そこに行くと天文部なんて超日陰だから「運動部系めっちゃ明るいなあ」なんてギャップを感じながら(笑)。
──麻布だと比較的文化系も堂々としていたと思うのですが。
いや、そうでもなかったと思うよ。オタクワールドに対して寛容ではあったけど、やっぱり運動部が強いなとずっと思ってた。
劣等感を抱き続ける6年間が糧になっている
──あ、そうなんだ。僕は運動部だったからなあ。立場によって見え方はやっぱり違うんですね。勉強のほうはどうでした?
中学のうちは150~200番くらいにいたんじゃないかな。運動部で部活ばかりやってまったく勉強していないからできないというのならわかるんですが、自分としてはそこそこ頑張っているつもりなのに常に平均点以下というのは本当に凹へこむことで。ガチに劣等感の塊でした。劣等感を抱き続ける6年間をすごしたことは、いまの自分の糧になっていると思います。
──でも、劣等感に押しつぶされる場合もあるわけで、そこは紙一重でしたよね。
危ないところでした。天文部に没頭していたんで、それが心のよりどころになった。
──自分が信じられる何かをもっていたり、居場所があったりすれば、強烈な劣等感すら糧に変えることができる。これは麻布に限らず、多感な時期の人間の成長にとって大きなヒントだと思います。逆に、麻布の嫌な部分ってどんなところだと思います?
自分の立場から見ると麻布はやっぱり東大至上主義の学校だった。デフォルトが東大。それがすごく大きなプレッシャーでした。