一方で、過去には自力以外で優勝の瞬間が訪れたことも10度ある。1951年は10月20日から日米野球の開催が決定しており、日本シリーズは10月10日からとなっていた。そのため、セ・リーグの日程は10月9日で打ち切られることが決定。そのため、独走していた巨人は9月23日に自動的に優勝が決定した。
王貞治監督が初優勝した1987年はマジック1で迎えた10月8日、7回まで3対2とリードしていたが、先発・江川卓を受けたリリーフの角三男が同点にされ、後を継いだ鹿取義隆もボブ・ホーナーに打たれて逆転を許す。目の前での優勝を見たくなかったホーナーは、2塁ベース上では珍しくガッツポーズ。シーズン終了後に取り壊しの決まっていた後楽園球場での悲願達成はならなかった。翌日の移動日、広島が中日に敗れ、王監督は祝勝会会場で胴上げされた。
「原監督就任1年目の2002年はドッチラケでした。9月24日、甲子園球場で行われた阪神との一戦は9回裏を迎えるまでに2対1とリード。抑えの河原純一が濱中治に同点ソロを浴びる。12回裏、阪神が一死満塁のチャンスを作ると、左腕の前田幸長が暴投で、サヨナラ負け。試合中にマジック対象チームのヤクルトが負けていたため、敵地甲子園で原監督が宙に舞いました」
それ以降、巨人は7度の優勝をしているが、全て自力で胴上げに持っていった。今年ペナントを制すれば、9度目の優勝となる原監督。1年目のような他力での歓喜は味わいたくないだろう。