「中島みゆきの世界観は自分には作れない、このままでは勝てない、そう感じたユーミンは、“最高のライバル発言”の翌年に『ルージュの伝言』というエッセイ本を出版します。きらめく世界を描くだけでなく、自らの人生を見つめるべきだと思い、実母との対談などを行ったのです。“みゆきとは音楽性が違うから”と語りつつ、その才能に嫉妬しながら近づこうとした時期があったのです」(レコード会社関係者)
2人の音楽性の違いには、それぞれの生い立ちも反映されている。ユーミンは東京・八王子市の呉服店に生まれ、中学生の頃から、加賀まりこらが常連客だった東京・飯倉の高級イタリアン『キャンティ』に出入りしていたシティーガール。若くして国内外の文化人と触れ合いながら、大学生のうちに歌手デビュー。一方の中島は、北海道十勝地方で育ち、高校の入学祝いに買ってもらった4800円のギターを手に、高校3年生のとき、文化祭で初めてのステージに立つ。音楽ジャーナリストが語る。
「外でみんなでワイワイ楽しむユーミンの音楽に対して、中島さんは家でひとりで聴く音楽。自分自身を掘り下げていく純文学作品のようなものです。
ユーミンは八王子から足繁く都心へと通い、“都会への憧れ”を強く持っていました。一方の中島さんは、親の仕事の影響で幼少期から北海道を転々とし続け、受け入れてくれる人がいないという不信や不安という感情を常に持って育ってきた。この違いが大きいと思います」
私こそが時代、私こそが音楽
さらに、歌詞を分析すると面白いことが見えてくる。
「2人とも作詞を自分でしますが、そのワードチョイスからして違う。単語を抽出すると、“私”を歌うのが中島さんで“あなた”を歌うのがユーミン。“夜”“泣く”“嘘”を歌うのが中島さんで、“朝”“愛”“好き”を歌うのがユーミンなんです。同じカップルの恋愛を描いても、この2人ならまったく別の描写になるでしょうね」(前出・音楽ジャーナリスト)
フォークシンガーの松山千春(64才)も、彼女たちの声を評していたことがあるという。
「どちらの声にも色気がある、と。ただ、やはり中島さんは“陰”で、わびさびを感じさせる日本人に訴えかける色気。対照的にユーミンは“陽”で欧米の色気だと語っていたのが印象的でした」(前出・音楽ジャーナリスト)
何もかもが正反対の2人。陰の女王・中島には『時代』という大ヒット曲がある。ただ、その時代という言葉がふさわしいのは陽の女王・ユーミンだと、音楽評論家の富澤一誠さんは言う。
「ユーミンは、時代の波をキャッチしてうまく乗りこなせる。時代のサーファーです。どんな波が来ようと、いつも即座に自分をその波に合わせられるんです」
ユーミン自身も、そのことを強く自覚してきたようだ。バブル期の1987年、ヒット曲『SWEET DREAMS』をリリースしたユーミンは、ラジオでこう語っている。
《私に合わない時代になってしまうってことは、ポップスとか音楽自体が全部だめになることだって思う》
私こそが時代、私こそが音楽と言い切るユーミン。その自信から、“自分が売れなくなることは銀行が潰れるようなことだ”とも豪語していた。