ところが、キャンプが終わってオープン戦に入ると、最初の試合で打ち込まれた。すると翌日のスポーツ紙に、ノムさんが僕のことをボロクソにコメントしているんです。あんなにエースだと持ち上げておいてこれか、とカーッときてね。闘志に火がついて次の試合から必死に投げた。今思えば、あれも計算されていたのかもしれません。のちにノムさんはID野球なんて言われて、知的な言葉を多く残しているイメージがあるかもしれませんが、本当はワンフレーズのボソッと囁く言葉が人を動かすんじゃないかと思っています。南海時代は、マウンドに来ても無言のことがよくあったし、何か言うとしても「どや、勝負するか?」くらいなんです。
当時はデータ野球というより「俺についてこい」というタイプでした。確かにミーティングでは細かい話もよくしたけど、それは居眠りして聞いてなかったな(笑い)。ノムさんがすごいのは、主役より、むしろ脇役をうまく使うところでしょう。「適材適所」が口癖でしたが、当時の南海には代打の青野修三さん、ヤジ将軍の大塚徹さん、サイン伝達役の堀井和人など、ベンチの前列には特別な役割を持つ選手を配置していました。青野さんなんか、7回からしかベンチに姿がなかったですからね。そんな選手を好んで使っていた。
僕が知るノムさんは、ベラベラしゃべるイメージは全然なくて、だいたい一言でしたね。ピンチでマウンドに来ると、「どうや?」と言うだけ。それは続投を前提にしているんです。そう言われて「代わります」というピッチャーはいませんからね。ノムさんは自分でボールを受けているから最初から限界かどうかわかってるんです。代えるつもりの時は、「代わろか」と、これも一言でした。