呼び名といえば、1970年代の半ば頃にもこんなことがあった。原宿のブティックに入ったら、「彼女、それ、すごく似合う。買っちゃいなよ、ちょっとだけなら、値引きしてやるからさ」と店の奥からくわえたばこで出てきた長髪で茶髪のお姉さんにこう言われたの。
もしいま、こんな口をきく販売員がいたら、ネットでさらされて、袋叩きにあうに違いない。いや、くわえたばこの段階で通報か。
だけど当時は、職場も客もない“ため口接客”が、イケてるブティックや美容院の証だったのよね。時代の風とはいえ、恐ろしい。できれば平成生まれの若い人には、ひた隠しにしたいよ。これがなぜ通ったのか、説明のしようがないもの。
その後、私は念願かなって、20才のとき、男性社員ばかりの出版社にアルバイトとして潜り込み、やっと名前で呼ばれるようになった。さすがは理性と知性の出版界? いやいや、名字ならそう思ったけど、いきなり呼び捨てで、「ヒロコ」ってどうよ。「彼女」よりマシかどうか微妙だよね。
次にバイトした出版社では、先輩編集者は私と面と向かって話すときは「ヤマザキさん」(私の旧姓)だったけど、その人が取材先と電話で話すときは「女の子」になる。
「いまから写真をいただきに女の子を行かせますから、よろしくお願いします」と、先輩は真っ赤なマニキュアで染めた指先で、黒電話のコードをくるくると巻きながら話していたっけ。
風がまた変わったのは1980年代後半ね。バブル絶頂期、はずみで立ち上げた編集プロダクションで、アシスタントに雇った若い女性を「うちの女の子」と言ったら、「人権無視だ。みっともない」と仕事仲間から猛反発を受けたのよ。
下働きの女子の呼び方ひとつとってもそう。時代が変わると、やたら古びた感じがする言葉があるように、“コロナ禍”“感染者数”“PCR検査”も、古めく日がきっと来るって。そう思いたい。
※女性セブン2021年1月28日号