収入は途切れたが、十数万円の貯金はある。実家からは「加勢しようか」と言われたが、家賃を払ってもらっている手前、また、独立心が高かった吉田さんは、貯蓄を切り崩しつつ、そして家に篭りつつ倹約生活を続けて乗り切ったのである。
夏の終わり頃には、居酒屋が通常営業に戻り、少しずつではあるがバイトも再開。昨年の12月ごろには、コロナ前と同じようにシフトに入ることもできるようになり、通常授業が再開した大学にも通いながら、久々の日常を懐かしんだ。だが……。
「年明けの緊急事態宣言で、居酒屋は夜8時で営業をしなくなった。夕方までは大学があるし、事実上、またバイトがゼロになってしまいました。お店には補償金も出るんでしょうけど、そこで働いている人、特にバイトで生活しているような学生やフリーターは置いてけぼり。これが春以降も続くなら、学校に通い続けるのも厳しい。就活もあるのに、どうしようという感じです」(吉田さん)
吉田さんのような「一人暮らし」の学生だけが窮地に追い込まれているわけではない。神奈川県在住の浜田聡子さん(50代・仮名)は、認知症を患った母親(70代)と二人暮らし。日中は母親の面倒を見て、夜8時に母が就寝して以降、明け方近くまで近所の居酒屋でアルバイトをし、生活費をなんとか捻出するという生活を送っていた。
「母親は認知症ですが、体は元気。放っておけば家中のものをひっくり返したり、どこかへ出掛けて行ったりするものだから、日中はつきっきりで面倒を見ています。夜は一度寝てしまえば、こちらが起こすまで起きないから、その間に働きに出ていたんです」(浜田さん)
浜田さん宅の主な収入は、母親の年金が月に10万円強と、浜田さんのアルバイト代が同じく7万円強、合わせておよそ17万円。あと10年ほど残った家のローンの支払いも月に8万円ほどあり、生活費に回せる金額は1ヶ月あたり9万円程度。母親用のオムツ代だけでも月に1万5000円かかるというから、生活はギリギリ。そこに、コロナが追い討ちをかけた。
「昨年春の緊急事態宣言で、当時働いていた居酒屋が潰れてしまいました。店長の計らいで系列の居酒屋になんとか雇っていただきましたが、シフトは以前の半分以下に。それでも秋以降は持ち直して、月に5万円は貰えるくらい働くことができていたんですが」(浜田さん)
そしてやはり、感染者数が再び増え始めた昨年末ごろから、居酒屋の客足が目に見えて減り出し、またしてもシフトは削られた。年明けに「緊急事態宣言が出るかもしれない」という世の中の雰囲気を感じた頃には、店長から直々に「やめてほしい」と電話が入ったのだった。