ステージで歌って踊るだけでは生活ができなかった(イメージ)
その授業とは、他ならぬ編集長が主催。雑誌に出たければ金を払え、というお決まりのパターンである。オーディション雑誌などを読み漁っていたこともあり、こういった「合格」には授業料だけとられて終わりというケースもあるという情報を得ていたため、不信感を持った宮内さん。三度ほど撮影に参加したが、その度に『スクールに通え』と強く言われたことでますます警戒し、結局、その雑誌に関する事柄からは、そのままフェイドアウトした。だが、他の女の子たちは違った。
「モデルになれるのならといって、スクール代に何百万円もつぎ込んだり、編集長に気に入られようと男女の仲になったりする子までいました。現実に、モデルやアイドルがテレビや雑誌にたくさん出ているなか、顔があまり可愛くないな、って思うような子もいるでしょう。だからみんな、そういうことをやれば『私もモデルやアイドルになれる』と勘違いしていたんだと思います」
素人目には「かわいくない」ように見えるかもしれないが、演出として親しみやすさを増すために、滅多にいないような高嶺の花と受け取られないようにすることもある。だが、宮内さんやその周囲は、全く違うように解釈した。売れている子は、なんだってやるのだ、と。こうして一般読者に過ぎないのに騙され、「私にもなれる」と考えてしまうのだろう。もっとも、自分もアイドルやモデルになれるかもという気持ちを持った女の子たちの希望につけ込む前提でビジネスをしている人がいるのも事実だ。宮内さんが出会った編集長は、その一人といえる。
宮内さんが当時を振り返る。
「今考えれば、騙されていることをある程度は理解しつつ、でももしかしたら、ここからデビューできるかもしれないという気持ちもあったし、芸能界はこういうもんだ、って自分に言い聞かせていたんですよね。だから、騙されていると気づいていたのでは? と周囲に聞かれても『知らなかった』っていうしかない。あまりにみっともないし、恥ずかしいじゃないですか」
案の定、というべきか、雑誌は間も無く廃刊したが、夢を諦めきれなかった宮内さん。東京・新宿や池袋のキャバクラ店でアルバイトなどをしつつ、数十回のオーディションの末、とあるアイドルグループの「見習い」メンバーに加入が決定した。ライブとウェブでの活動がメインだったが、それなりに名前が売れているというメンバーもいて、イベントを開くと、最低でも数十人のファンが押し寄せ、グッズも一人の客が数万円ずつ買っていくなど飛ぶように売れる。宮内さんはまず、見習いメンバーとして物販の手伝いを担当した。
ここに二つ目の落とし穴があったと宮内さんは話す。食べていくためには、きらびやかな舞台でアイドルとして振る舞うことと、その練習以外の仕事に励まなければならなかった。いや、その仕事の方が「メイン」だったと言っても過言ではない。
