その朧げな記憶の中だけにあった記事を、担当編集者〈O氏〉が探し出すのは本書中盤のこと。
〈今年四月二十九日に西多摩郡奥多摩町の北氷川橋(高さ二十六メートル)から日原川に飛び降りて死亡した二人の女性の身元は、二十四日までの青梅署の調べで、大田区のマンションに同居していたAさん(四五)、Bさん(四四)と分かった。二人は都内の私大時代の同級生だった〉
そう伝える記事の年齢に、作家はまず、ギリギリ20代だった当時の自分には40代の彼女たちがもっと年配に思えたという違和感を覚える。また、大学時代の同級生がなぜその歳で一緒に住み、なぜ一緒に死んだのかなど、次から次に湧きだす疑問や憶測の堂々巡りを、MとTを主人公にした物語の隣にそのまま書きつけていくのだ。
「他にも結婚とか職業とかなぜ奥多摩? とか、疑問はいくらでも湧いてくるし、それでなくても人の死って、想像や憶測を招きやすいですからね。良くも悪くも。実際、誰かの死で物語が始まるのは推理小説に限りませんし、肉親はもちろん、赤の他人の死であっても、あれこれ考えさせる性質があるのかもしれません」
大学卒業後、小さな貿易会社に就職したMと、コネ入社した大手企業を3年で辞めたT。Tの結婚式で〈こんなふうにして、誰もが「人生」に搦め捕られていくのだな〉とMは感じ、TはTで、〈あたしは冒険など求めない。早く自分の巣を作り、落ち着きたい〉と雛壇の上からMに囁いた。
が、〈平凡なはずの人生が、非凡な幕切れを迎えることを、彼女は知らなかった〉。ある時、夫を条件だけで選び、〈利口だと思い込んでいた自分〉に絶望したTは、離婚報告も兼ねてMに絵葉書を出す。そして一時的な同居から結果的には死まで共にすることになった2人の原点を、Tがアガサ・クリスティー『ゼロ時間へ』に擬えるくだりが出色だ。
それは大学2年のこと。新人の勧誘中、なぜかMとTが2人になる瞬間があり、ノートが風にめくれるのを見てMが取り出したのが、生協で買いだめしたという好物の〈コンビーフの缶詰〉だ。その〈濃いグリーンを背景に、牛の絵を組み合わせた缶〉と生ぬるい春風の記憶が全ての始まりであり、〈Mとのゼロ時間〉だったと、その今では誰も確かめようのない物語を、作家は思いを込めて紡ぐのである。