村山が兼任監督だった頃に主戦投手だった上田二朗氏はこう振り返る。
「村山さんは“オレは長嶋さんとの勝負は絶対に逃げない。逃げない中で勝負する。打たれるか打ち取るかのどちらかだ。逃げないで勝つことに価値がある”と話していました。だから三振かホームランといった結果が多かったようです。まさに侍の世界で、斬るか斬られるかでした」
2人の対戦成績は302打数85安打、21本塁打、39三振だった。
なぜそれほどまで村山は長嶋にこだわり続けたのか。村山はインタビューでこう語っていた。
〈長嶋さんの目は、勝負の瞬間は静なのです。一瞬、フッと涼やかな、とてもたおやかな目になる。“長嶋茂雄のファンタジー”とでも言いましょうか、この“静寂”に投手は魅入られたように我を失うのです。(中略)まるで、魅入られたように勝負をしてしまう……ここなんです、長嶋茂雄という打者が凄かったのは……〉(『Number』1988年5月20日号)
ライバルをも魅了するのが、“ミスタープロ野球”長嶋だった。
※週刊ポスト2021年4月16・23日号