自宅から車で約20分の距離にある老人ホームに、次女と妻は足繁く通ってサポートを続けた。邦衛さんがいつ戻ってきてもいいように、自宅の玄関には車椅子でも出入りしやすいようにスロープも設置した。
「2017年の秋頃になると、邦衛さんが自宅に戻る頻度が増えたんです。リハビリの成果が出始めて、ゆっくりとですが自分で歩くこともできるようになっていました。以前の生活に戻る日も近い。家族の期待も膨らんでいたんです」(前出・邦衛さんの知人)
だが、リハビリは一進一退を繰り返す。自宅に帰ったかと思えば、施設に逆戻りの日が続いたという。
「年齢的なこともあって、以前の日常どころかひとりでできたことも助けが必要になっていきました。在宅介護に切り替えるか、施設に任せるか。家族は悩みましたが、最後は施設に任せることにしたそうです。
2013年に邦衛さんの引退が噂されたことがあったのですが、奥さんはそのときのテレビの取材に『引退もなにも、田中邦衛の人生そのものが役者ですから』と答えています。在宅介護をすることで、世間に邦衛さんの“病状”が伝わってもよくない。家族はシャイな邦衛さんの思いも酌んで、役者のイメージを守ろうとしたのかもしれません」(前出・邦衛さんの知人)
娘を前にすると照れてしゃべれない
ただ、寂しい晩年だったわけではない。『北の国から』の脚本家・倉本聰さん(86才)が4月3日配信の朝日新聞デジタルに寄せた追悼文にはこんな言葉がある。ここ数年会いたくても会えず、奥さんを介して邦衛さんの様子を知ったときのこと。
《彼が今棲(す)む小さな世界で、まわりから愛されまわりを明るく笑わせているという情報にホッと安堵(あんど)し、心を休めた》
体が不自由になっても“舞台”を変えて、役者を続けていた。
「五郎役のイメージが強くて、邦衛さんは無口という印象を抱いている人も多いのですが、実はユニークな一面を持つかたなんです。人の笑顔が大好きで、老人ホームでは冗談を言っては入居者を笑わせていたそうです」(前出・邦衛さんの知人)
『北の国から』は、妻が家を出ていった後、東京での生活に嫌気がさした五郎が、2人の子供を連れて故郷の北海道に帰るところから物語が始まる。だが、邦衛さん自身は役柄とは違い、大の愛妻家として知られていた。
「撮影で地方に出たときはマメに電話を入れていました。一度、京都で『にごり酒』を買って帰ったら、奥さんが“おいしい”と言ってくれたのがうれしくて、それから京都に行くたびに、同じにごり酒を買って帰っていた時期もありました。奥さんが喜ぶ顔を見るのが大好きなかたでした」(芸能関係者)