蔵に入るにはエアシャワーを浴びる。温度管理を徹底し、通年で酒が造れるようになった
イタリアンレッドが目を引く伊製瓶詰め機。ワインボトル用を酒瓶用に調整してもらった
銘柄の名前が示すように造る酒は「海の町の酒」。浜に上がる海産物との相性を考えている
男山本店(宮城・気仙沼)──蔵を救った先祖の知恵と甦った街のシンボル
男山本店4代目の菅原昭彦さん。気仙沼復興の街作りの中心人物としても活躍している
10年前、津波は男山本店の蔵の入口寸前で止まった。歴史的に気仙沼は繰り返し津波被害に遭ってきた。その教訓を生かし、大正元年の創業のとき高台に蔵を建てていたことが幸いした。
菅原昭彦社長(59)は翌日、酒造りの再開を決意した。すると、被災のただ中にいる地域の人たちが燃料や動力の確保に協力してくれた。避難者からは「酒でも呑まないとやってられない」という声が聞こえてきた。全国の愛飲者から激励の手紙が届いた。「“たかが酒”のために多くの方が応援してくれた。酒造りは地域とともにという思いが強くなり、お客様の顔も見えるようになった」と話す。
蔵は被害を免れたが、湾近くの本社兼店舗は倒壊した。国の登録有形文化財であり、街のランドマークだった建物だ。それが去年夏復元された。今年春にはメモリアルの酒『雲外蒼天」を出した。そこにはこの10年への思いと未来への希望が込められている。